TMB IMPRESSION

<インプレッション>
実際乗ったらどうなんですか?
TMBが選りすぐった“名車”を運転してみて感じたこと

RENAULT DAUPHINE GORDINI

アルピーヌの始祖ジャン・レデレと並び称されるチューニングの魔術師、アメデ・ゴルディーニ。その彼が最初に魔法にかけたマシンが、ルノー・ドーフィンであった。果たしてその魔術が掛けられたマシンは、現代のクルマ好きにどう映るのであろうか?

TEXT / 嶋田智之 PHOTO / 内藤敬仁
SPECIAL THANKS / ケントスピード(https://kentspeed.net/

最初のゴルディーニ

10年と少し後になって“魔術師”と讃え称されることになるその男は、1925年にフランス人になった。モノの本によれば、どういう経緯で知り合ったのかまでは判らないけれど、フランス娘に恋をし、追いかけ、結婚に漕ぎ着けたらしいのだ。彼の心を奪ったその女性に、僕達は感謝しなきゃならないだろう。だって、もし彼がパリ郊外のレピュブリークにガレージを構えることがなかったとしたら、ルノーのスポーツ・モデルの系譜は全く違ったものになっていただろうし、アルピーヌA110が世界のラリーで大活躍することだってなかったかも知れないし、ルノーF1のストーリーもまた別の展開を見せていただろう。そう、決して大袈裟な話ではなく、彼がいなければ1930年代以降のフランスの自動車史は大きく変わっていたに違いないのだ。

イタリアはボローニャ地方のバッツァーノという小さな村で、それほど裕福ではない家の四男として育った彼は、公式的には自転車の修理業が最初の仕事と記録されている。けれど実際には幼い頃からクルマとレースに魅せられていて、12〜13歳の頃から丁稚奉公のようにして自動車のメカニズムを吸収し始めていたらしい。後にマセラティ社を創設することになるレーシング・ドライバー、アルフィエーリ・マセラティのところで働いた時期もあったそうだ。

自転車修理では飽き足らなくなって自動車販売店で働き始めてからはチューンナップにも手を染め、彼が触ったフィアットはハッキリと速くて評判になったらしいから、そのままイタリアで暮らしていたとしたなら、彼はカルロ・アバルトより遙か以前に名を成したチューナーとして、あるいはマセラティやランチアやアルファロメオ、あるいはフェラーリなどで功績を残した名エンジニアとして、イタリアの自動車史に名を刻まれることになったかも知れない。歴史の“if”は本当に面白いものだな、と思う。

──そうだ。あぶなく忘れるところだった。彼の名前は、アメディオ・ゴルディーニという。フランスに帰化してからは、アメデ・ゴルディーニとして生き、数々の伝説を残した男である。僕は今、あらためて彼の軌跡を様々な書物の中に辿りながら、ニンマリとしたり軽く興奮したりしている。なぜそんなことをしているのかといえば、彼がルノーと組んで最初に手掛けたクルマ、ドーフィン・ゴルディーニに乗ったからである。

1956年にパリ16区のシャイヨー宮で発表されたドーフィンは、ボディ・サイズがひとまわり大きくなって──でもちっちゃいけど──スタイリングもモダナイズされた──当時としてはだけど──ものの、その中身は凡庸だけどよくできた4CVのメカニズムを踏襲した上級モデルだった。その分車重は70kgも重い630kgへと増加したけれど、ルノーはリアに搭載するOHVエンジンを845ccにすることで対処していた。その2年後に追加されたスポーツ・モデルが、ドーフィン・ゴルディーニだった。

アメデ・ゴルディーニは当時、大衆車のコンポーネンツを使ったマシンでグランプリカー並のパフォーマンスを発揮させる腕前から“Le Sorcier=魔術師”と呼ばれ、愛国心の強いフランスのモータースポーツ・ファンを熱狂させるところまで登り詰めていた。そして同時に全てを失いかけていた。パリ郊外の自分のガレージで組み上げた市販車ベースのチューニングカーは途方もなく速く、レース活動では常勝の域に達し、スポーツカーやシングル・シーターのレースを経由して1950年から始まったF1世界選手権にシリーズ参戦、とチューナーとしてもレーシングカー・コンストラクターとしても一流と呼べる存在。それに比例するかのように資金難に襲われ、慢性化し、ガレージの経営も悪化の一途を辿っていたのだ。企業経営よりもモータースポーツへの愛と情熱を優先してしまった辺り、まるでエンツォ・フェラーリのようである。

一方、ルノーにはアメデの技術力に強い関心を抱いていたエンジニアリング部門の責任者とモータースポーツ部門の責任者がいて、彼らは上層部を説得し、ドーフィンを高性能化させるためのエンジンとトランスミッションの開発をゴルディーニにオファーする。

そこはアメデにとっては得意中の得意といえる分野。F1用の直列6気筒や8気筒をゼロから作っていたのだから、ベースがあるならお手のものだ。垂直配置だったバルブを傾けた上で大径化し、燃焼室をドーム型からクサビ型へと大手術を行い、大口径キャブレターを採用することなどで、30psから37psへと20%以上も引き上げた。ギアボックスは標準型より1段多い4速へと発展させた。ちなみにこのエンジンは最終的には55ps、つまりベースとなったエンジンのほぼ倍近くのパワーを絞り出すところまで進化する。まさしく“魔術師”だ。

僕が試乗させていただいたのは、ほぼ最終型の“1095”と呼ばれるモデルで、エンジンのパワーは40ps。ベース・エンジンより30%以上も出力が上がっている計算だ。けれど何より驚いたのは、レスポンスが良く小気味のいい吹け上がりを見せてくれたことでも、排気量を感じさせない勇ましくも快いサウンドを聴かせてくれたことでもない。唖然とするほどに乗りやすかったのだ。低回転域からちゃんとトルクを発揮して、全くムズがったりすることなく、スルスルと走る。フレキシブルという言葉を使っても過言じゃないほど、扱いに難儀することがなかったのだ。

何せその昔、とりわけ1980年代ぐらいまでの自然吸気エンジンのメカニカル・チューンが施されたクルマは、パワーを追求していくと高回転域重視のピーキーな性格になりがちで、低回転域はスカスカ……というものが少なくなかった。クルマを速く走らせるためには低い回転域から有効なトルクを発揮して乗りやすくすることが重要というのは、理屈では解っていても昔はなかなか実現するのが難しかった。当たり前のようにそれが可能になったのは、コンピューターで制御することができるようになった近年のことなのだ。

つまりアメデ・ゴルディーニがチューンナップしたエンジンは、半世紀以上も前に生まれたくせして、しかも小排気量なくせして、しっかりとそれを成し遂げていたのである。それでいて高回転域までチカラの落ち込みを感じさせることなく軽やかに回り、スピードもしっかりとついてくるから、コーナーの立ち上がりごとにRRならではの良好なトラクションを活かして小さく軽い車体を爽快に加速させていくことが、楽しくて仕方ない。絶対馬力の多寡は知れてるから得られるスピードにも限りはあるけど、やばいぞ。これは本当に癖になる。

アメデが手を入れたドーフィンは、当初は懐疑的だった当時のルノーの経営陣や技術陣ばかりか顧客達をも喜ばせ、後にR8、R12、R17、そしてR5にも、彼の手が入ったモデルが当然のようにラインナップされることになる。スポーツカーの世界ではアルピーヌを興したジャン・レデレが切望し、一部の普及版を除く全てのA110にゴルディーニの手が入ったエンジンが搭載されることになり、モータースポーツの世界では、ゴルディーニのエンジンを積んだA110がラリーの分野を制圧した。アメデの弟子達がたくさん生まれ、魂を受け継いだ彼らが組み上げたパワーユニットが、ル・マン24時間レースを制し、F1グランプリでもルノーに初勝利をもたらした。

そして時を隔てて今日──。今回の担当編集は、奥さんをどう説得すればこのクルマそのものを手に入れることに同意させられるのか、取材の間中ずっと、ひらすら策を練っていた。彼はどうやら一撃でやられたようだ。アメデが天に召されてから40年以上の時が過ぎた今になっても、彼が世に放った魔法はまだまだ強力な効き目を保って活き続けているのだ。

「コレがスポーツモデル?」と目を疑ってしまうほどシンプルなコクピット。思わず時代を感じずにはいられない。
ヘッドレストのないシートはふっくらとした感触。サイズ自体は小振りなもの。
4枚ドアのセダンだが、リアにエンジンがあるため背もたれの角度は立ち気味で足元もミニマム。
横長の指針式メーター。手書き風のインデックスで表示される速度は150kmまで。
エンジンはノーマルと同じ845ccながら、燃焼室の変更や大径バルブ、大口径キャブの採用で、ノーマル比23%アップの37psを達成していた。これに4速M/Tが組み合わされ最高速度125km/hを記録する。
ヘッドには「g」の文字が刻まれる。
ドーフィンのエンブレムはロサンジュではなく、RENAULT REGIE NATIONALEとFRANCEの文字、その間に王冠に三匹の魚、そしてロサンジュがちりばめられたものとなる。
リアエンジンフードカバーに輝くお馴染みの字体で書かれた「GORDINI」の文字。
オーナーズマニュアルを始め、パーツカタログ、整備書も備わる。こういう点からも前オーナーの愛情の深さが伺える。
リアエンジンのため、リアフェンダーのフロント側に冷却用のエアインレットが備わる。
ホイールは鉄製で、それに鉄製のキャップが装着されるシンプルなもの。

MORE INFO.

ゴルディーニが最初に手掛けたルノー車がドーフィン

1956年にデビューしたルノー・ドーフィンは、小型大衆車のヒット作である4CVの上級車種として企画されたモデル。1950年代らしい丸みを持ったモダンなデザインのボディに、4CVのメカニカル・コンポーネンツを移植していた。そのエンジンとトランスミッションの高性能化を、チューナーでありレース屋でもあったアメデ・ゴルディーニに託して作り上げたスポーツ・モデルがドーフィン・ゴルディーニである。エンジンは標準仕様で30psから37psへ、モータースポーツのベース車両的な性格を持たされた“1093”というモデルでは55psを発揮していた。ドーフィン・ゴルディーニは公道レースやラリーなどで代役を収め、アルピーヌのジャン・レデレを大いに刺激した。

PROFILE/嶋田智之

本誌前編集長。愛車はアルファロメオ166。執筆やイベントなど忙しく飛び回っている氏。ここ最近ではSNSのクラブハウスにハマっているようで、クルマ業界の催しではかなりの頻度で名前が掲載されている。