TMB IMPRESSION

<インプレッション>
実際乗ったらどうなんですか?
TMBが選りすぐった“名車”を運転してみて感じたこと

MAZDA EUNOS ROADSTER

長年カー・マガジン本誌の連載『Bow。のNew Classic 探検隊』でBowさん=博士の助手を務めてきた渡辺敏史。今回我々が"元助手"に託したのはNA 型(マツダ)ユーノス・ロードスター。現行ND 型へと続く2019 年でちょうど30周年となったロードスター・ヒストリーにおける原点だ。久しぶりにクルマと対した"元助手"はコックピットで何を想うのか。

TEXT / 渡辺敏史 PHOTO / 神村 聖
SPECIAL THANKS / マツダ(https://www.mazda.co.jp/

ロードスター・ヒストリーの原点に乗る

NA型ユーノス・ロードスターがアメリカで登場したのは1989年5月のこと。4ヵ月遅れて9月に日本で発売が始まった時の世間と自分の興奮は今でも割と鮮やかに覚えている。

読者の皆さんには釈迦に説法だろう。当時は専用設計のシャシーやそれに合わせたデザインを持つ小型軽量そして廉価なオープン2シーターなんてものは、世の新車ラインナップからはほぼ抹殺されていた。唯一残っていたのは1960年代にジュリア系のシャシーをベースに開発されたアルファロメオ・スパイダーくらいだったように思う。そう、百花繚乱だった1960 年代から数えてわずか20年足らずで、それはニーズなど考えられない死に筋のコンセプトと化していたのだ。

果たしてライトウエイトオープンはなぜ人々に求められなくなったのか。

まずは最大消費地のアメリカで求められた相次ぐ法規制。衝突安全要件に対応すべく前後に巨大なバンパーの装着を余儀なくされ、次はロールオーバー対応かと思われたところで今度はカリフォルニア州の大気汚染に端を発しての排出ガス規制が重い足かせとなり、散々予算を投じて対応した頃には車体は激重エンジンは激ネムと、ライトウエイトオープンとしての存在意義が根底からひっくり返されるような試練が1970年代に訪れたわけだ。

それでも売れるなら投資し甲斐もあっただろう。しかしベトナム戦争後のピースフルな空気の中で、庶民が求めるクルマの楽しさは少人数のスポーツよりも多人数のレジャーに傾いてもいた。そこにフォルクスワーゲン・ゴルフからのFFムーブメントが影響をもたらし、人々が求める小型軽量そして廉価というキャラクターはそちらの方向に移ってしまう。マツダにせよ、その流れに沿うファミリアで1980年代はこの世の春を謳歌してきたわけだ。

一方で1980年代後半、バブルを迎えた日本では円高の影響も相まって輸入車の人気が急上昇。趣味目的ではなく資産対象としても注目されたのはフェラーリばかりではない。ビッグヒーレーやエラン、MGB にTR4といった、忘れられたはずのオープン2シーターがこの頃、大いに注目を浴びることになった。察するに当時、金銭的に余裕のあった殿方が、若かりし頃に憧れたクルマを手に入れようと目論み、そのエネルギーが英国ものに集中したのではないかと思う。

そんな時代のムードも手伝ってか、ユーノス・ロードスターは初手から大人気となり、年単位の納車待ちが重なった。170 万円からという価格は、現在的なレートに均せばちょうど現行ND 型のスタートプライスに相当するくらいだろうか。しかもそちらはエアコンもオーディオも含まれている。気づけば高いといわれる今日びのマツダにあって、ND型の値付けは謙虚さすら感じられる。

ユーノス・ロードスターはその形状をもって、当時はしばしばロータス・エランのインスパイア物件と称されてもいた。が、よくよくみると着座位置がもっと前側、車体の真ん中寄りに収まることになる。そういう点からみると、イギリスというよりはイタリアのオープン2シーターの方がパッケージ的には近い……と、当時そんな薀蓄を聞かせてくれたのはカー・マガジンの誌面上で長らく僕の上司、すなわち博士に就いていたBowさんだった。助手は博士から様々な知識と共に、まったく肩肘を張ることのないスポーツカーとの暮らしを学ばせてもらい、なんとかクルマ業界の末席を汚し続けるに至っている。思えば20 年に渡ってRX-7を持ち続けているのも、博士とTR3 の関係にちょっと憧れているのかもしれない。

今回用意されたユーノス・ロードスターはワンオーナーで2万km台という驚異的物件。聞けば女性ユーザーからマツダが譲り受け、内外装や機関には最小限のリペアが施されているという。幌屋根は新車当時のまま。綺麗なリアスクリーンには寒冷地仕様のステッカーが残されている。初期ものをこれほどの状態で保管し続けるのは並大抵の話ではない。こういうユーザーが背後にいることこそ、マツダにとってはかけがえのない財産だ。

ユーノス・ロードスターのベルトラインは昨今の水準からすれば異様に低い。当時は太いなぁと思っていたAピラーも今となってはあまり気になるでもなく、開放感は現在のND型ロードスターとはふた味違う。

搭載される直4は前期が1600ccのB6型、後期が1800ccのBP型となる。同じBコードでも同時期にホンダが作っていたVTECのB16A型と比べれば、凡庸なパワーとがさつなフィーリングであったことは否めない。

が、今みればそのフラットトルクの牧歌的な性格は軽い車体に見合っていたのだろう。久しぶりに走らせたユーノス・ロードスターから感じた優しさというか手馴染みの良さ……は、現在マツダが目指しているクルマづくりと相通じるものがあると感じられた。

非力なエンジンと華奢なボディのどちらがきっかけなのか。ライトウェイトスポーツの出自を考え始めると、とかく卵か鶏か的な方向にハマりやすい。が、そもそも限られたパワーとそれに見合う車台や足腰やブレーキやタイヤや……の構成とがピタッと丸く調和したところにゴールがあり、ユーノス・ロードスターは初出にしてそのフォーカスを外さなかった。当時はぞんざいに扱われたシフトノブさえも、今乗ればこのクルマを繊細に走らせる上で絶妙な形状だったことがわかる。

その後、4代に渡ってロードスターはこのフォーカスを外さないことに技術を磨き努力を重ねてきた。結果、30年後のND型ロードスターは1tの車重を1.5リッターのNAエンジンで動かしている。周囲のクルマの満艦飾化とそれに比した肥大化をつぶさにみてきた身には、そこだけ時計が止まっているかのようにもみえる。が、裏返せばそれは、変わらないための進化を実践し続けている数少ないクルマということでもあるわけだ。

取材車はマツダからお借りしたもので、何とワンオーナーで走行2万km台の車両を女性ユーザーから譲り受けたそう。最小限のリペアこそ施されているが、幌は新車当時のものが使用されるなど、いかに大事に乗ってこられたかがわかる。

ドアの高さは腕を置く高さも考えられている。それは現代のND型でも同様だ。

ユーノス・ブランドで販売されたロードスター。ホイールキャップのロゴに当時の形跡が。

エンジンルームは現代の目線で見ても、惚れ惚れする光景。

ユーノスのエンブレム。現在は『マツダ・ユーノスロードスター』と表記されることが多い。

ポップアップ式のヘッドライトは今となってはクラシカルだ。

理想的なドライビングポジションを追求したコックピット。