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COLUMN

100周年を超えたシトロエン・デザイン、
次の100年
PIERRE LECLERCQ & CITROËN DESIGN

2018年11月、シトロエンのデザインディレクターが交代した。新たに着任したのはピエール・ルクレール。韓国の起亜から電撃移籍した彼に、これまでのキャリアと今後の抱負を聞こう。

TEXT / 千葉 匠 PHOTO / 佐藤靖彦
SPECIAL THANKS / グループPSAジャパン(https://www.citroen.jp

100周年を超えたシトロエン・デザイン、
次の100年

シトロエンへの親近感

「日本には3回行ったことがある。家族と京都に行ったりね。最後は中国に住んでいた時だ。もう一度、北海道でスキーをしようと計画していたのだが、フランスに引っ越すことになって実現しなかった」

シトロエンのデザインディレクターに就任したピエール・ルクレール。2018年11月まで韓国の起亜で1年ほどデザインを率いていたが、シトロエンで前任のアレックス・マルヴァールが、メルセデスがフランスのニースに新設したデザインスタジオのディレクターに転出。そこでルクレールに白羽の矢が立ったのだ。

「起亜にはもっと長くいるつもりだったけれど、PSAからシトロエンの仕事をオファーされて断れなかった」とルクレール。「私はシトロエンと共に育ったんだ。祖父がDSを持っていたし、父はCX、母はディアーヌに乗っていたから、シトロエンにはいつも親近感を抱いていた。母国語で仕事ができるということも、もちろん転職の大きな動機だ」。

ルクレールはベルギーで生まれ育った。

「多くの子供たちと同じように、私もクルマの絵を描くのが好きだった。叔父と従兄弟が漫画家で、彼らの仕事ぶりを見ていたしね。でも、なりたいのは漫画家ではない。クルマが大好きだし、絵を描くのも大好き。ふたつの情熱をひとつにして、カーデザイナーになりたいと考えた」と彼は振り返る。

ベルギーにはカーデザインを学べる学校がなく、大学では工業デザインを専攻した。しかし、「将来はクルマをデザインしたい。両親を説得して、スイスのアートセンター・ヨーロッパに進む許可を得た」。

カリフォルニアで建学されたアートセンター・カレッジ・オブ・デザインが、レマン湖畔のヴヴェイにヨーロッパ校を開設したのは1986年のこと。ルクレールはそのカーデザイン学科で、夢の実現に向けて一歩を踏み出した。しかし彼の履歴には、カリフォルニアのアートセンターを卒業したと記載されている。これはいったいどういうこと?

「1996年1月にアートセンター・ヨーロッパに入学したのだが、3月で学校が閉鎖になってしまった」。欧州の景気低迷に加え、公的支援のない私学ゆえの高い学費のために学生が思ったように集まらず、学校経営が立ち行かなくなったのだ。「でもラッキーなことに、カリフォルニアに転校して学業を続けることが許された」。

ピエール・ルクレール●PSAシトロエン・デザインディレクター
1972年、ベルギー中東部のバストーニュに生まれる。リエージュの大学で工業デザインを専攻。さらにカーデザインを学ぶため、1996年にスイスのアートセンター・ヨーロッパに進学するが、同校が閉鎖となり、カリフォルニアのアートセンターに転校して卒業した。1999年4月、ザガートに入社。同年7月、ギアに移籍。2000年8月、BMW子会社のデザインワークスに転職し、2005年5月にBMW本社に異動。2011年1月、BMW Mのチーフデザイナーに就任。2013年7月から長城汽車ハヴァル・ブランドのデザインディレクターを務め、2017年9月から起亜のヘッド・オブ・スタイリング。2018年11月、シトロエンのデザインディレクターに就任した(役職などは取材時のものです)。
BMWで才能が開花

図らずもアメリカに留学したルクレールだが、卒業後は欧州に戻り、1999年にイタリアのザガートに就職した。しかし当時のザガートはプロジェクトの端境期。「クルマをデザインしたかったけれど、3ヵ月経ってもクルマの仕事がないのでギアに移った」。

当時のカロッツェリア・ギアはフォード傘下だから仕事に事欠かない……はずだったが、1年後にフォードがギアを閉鎖。その直前の2000年7月にルクレールはギアを退職し、カリフォルニアのデザインワークスで職を得た。デザインワークスはもともと工業デザイン事務所だが、1991年にBMWが買収して同社の米国デザイン拠点になっていた。

ここでルクレールは才能を開花させる。2代目X5と初代X6が、彼のスケッチから誕生したのだ。「X6をやっている途中で、ミュンヘンの本社に異動になった」。本社でX6のデザインを仕上げ、さらにロールス・ロイスやミニのプロジェクトを担当。2011年にはMブランドのチーフデザイナーに昇進した。

イタリアのザガートとギアを経て、ルクレールは学生時代を過ごしたカリフォルニアに戻り、BMWの米国デザイン拠点のデザインワークスに転職。ここで2代目X5のエクステリアを担当した。スケッチには彼のサインがある。クレイモデルの写真には、若き日のルクレールの姿が。

しかしその2年後、ルクレールは中国の長城汽車に移籍。SUVをメインとするハヴァル(Haval)ブランドのデザインディレクターに就任した。「最初は大変だったよ」と、彼は結果的に4年で終わった中国での仕事を振り返る。「カルチャーショックだった。BMWでやってきたようにやればOKのはずだと思ったのが、大きな間違いだったね。半年ほど経って、それが少しわかってきた」。

何が大変だったのか?「会長からは『あなたが会社を背負って立つんだ、中国を背負って立つんだ』と毎週のように言われた。彼らはとにかく量と速さを求める。4年間で40車種もデザインした。14ではない、40だよ。ほとんどがフェイスリフトだけどね。でも、彼らの仕事はそんなに効率よく進まない」。

一般論として、中国企業は経営判断が速いと聞くが……。「もちろんそのとおりだが、決めた後のプロセスが定まっていなかった。今日これは黒にしようと決めても、翌日にはやっぱり白だとなってしまう。それに付き合うのは、簡単ではなかったよ」。

X5に続いて、初代X6のエクステリアも手がけた。その後のX4やX2にもつながる“スポーツ・アクティビティ・クーペ”という商品コンセプトは、ルクレールの手で初めて具現化されたのだ。

そんなフラストレーションを抱えていたルクレールに、今度は韓国の起亜から声がかかった。当時の現代自動車グループのデザインは、フォルクスワーゲン(VW)/アウディ出身のペーター・シュライヤーが統括。2016年にはやはりVW出身で、ランボルギーニやベントレーのデザイン責任者を歴任したルーク・ドンカーヴォルケが、現代ブランドのデザインディレクターに就任していた。

しかしシュライヤーが連れてくる“外人部隊”と韓国人デザイナーとの、鬩ぎ合いの結果だろう。起亜ブランドについては生え抜きの韓国人がデザインのトップにとどまり、ルクレールは“ヘッド・オブ・スタイリング”という新設のポジションで起亜に迎えられた。2017年9月のことだ。しかし起亜で働き始めて1年を経た頃、前述のようにPSAから魅力的な仕事をオファーされ、彼はヨーロッパに戻ることを決意する。

もっと革新的な方向に進む

子供の頃からシトロエンに親しんでいたし、ベルギーのフランス語圏で生まれ育ったとはいえ、それだけが起亜を1年で辞めた理由ではないのではないか? 最近のシトロエンのデザインをどう見ていたのかを聞くと……。

「シトロエンはいつも他とは違う何かをやってきた。デザイナーとして、これはとても良いことだと思うよ。私もそれをやりたい」。しかしそれは、従来路線を受け継ぐという意味ではないようだ。前任者のアレックス・マルヴァールは2012年からシトロエンのデザインを率い、C4スペースツアラー、C4カクタス、C3、C5エアクロスなど、ラインナップの刷新を進めた。「アレックスが素晴らしい仕事をしたことはもちろんだ」としつつ、ルクレールはこう続ける。「いま路上にあるシトロエンは、どれもよく似たファミリーだ。しかしシトロエンは、我々がフルに創造性を発揮できるブランドだと思っているし、それが私の責任でもある。自分たちの創造性を再発見すべきだ。シトロエンの歴史を振り返りながら、デザインを変えたいと考えている。いずれ分かることだが、いま進めているプロジェクトは、従来とはまったく違う。もっと革新的な方向に進むつもりだ」。

2019年で創業100年を迎えたシトロエンの歴史は、数々の革新に彩られている。そういうブランドの未来を開拓するというチャレンジにこそ、ルクレールは最も心を踊らせているのかもしれない。前任のマルヴァールは、スピード感やダイナミズム、アグレッシブさといった昨今のカーデザインの常道的なテーマを否定した。それゆえ現行シトロエンは、ウエッジシェイプではなく水平基調で、けっして筋肉質フォルムでもない。喩えて言えば、ガソリンの匂いがしないデザインだ。

「そうだね。良いと思う?」と逆にルクレールに問われ、「私は好きですよ」と答えると、彼はこう語った。「OK、我々はPSAグループの一員だ。プジョーはもっとスポーティなブランド。我々シトロエンは快適さやヒューマンフレンドリーなところに、ブランドバリューを置いている。それは今後も続けていくよ。シトロエンを超スポーティにすることが我々のゴールではない」。

インテリアについても、「今のインテリアで気に入っているのは、カーデザインとは少し違うアプローチをとっていること。ダイナミックな立体造形などやっていない。かなりプロダクトデザイン的だ」と、現状の方向性を肯定。そして「この方向でさらに深めていくと共に、もっと創造的になってシトロエンの個性である快適さを追求したいと考えている」と続けた。

2019年3月のジュネーブ・ショーでシトロエンが発表したコンセプトカーのアミ・ワン。個人所有ではなく、シェアリングやレンタル、長期リースで“利用”することを想定した電動シティコミューターだ。このデザインにルクレールは関与していないが、「毎日でも乗りたいね」。現行シトロエンとはひと味違うデザインは、次なる時代に向けた変革を感じさせる。
19_19が示唆する未来

ここまでのインタビューは2019年3月のジュネーブ・ショーで収録した。シトロエンはそこでアミ・ワンという電動コミューターのコンセプトを披露したが、ルクレールは正直に「私がシトロエンに来たときにはもう完成していた」。それでも「素晴らしいコンセプトだと思うよ。街中では毎日でもこういうクルマに乗りたいね」と笑顔を見せていた。

シトロエンは続いて5月にも、パリで開催された『Viva Tech』という技術展示会で19_19 Conceptを発表した。こちらはアミ・ワンとは逆に、都市を抜け出す快適なモビリティをテーマとする電気自動車だ。

タイミングから考えて、これもルクレールが担当したデザインではないだろうと思いつつ、メールで質問を送ってみた。すると、「そのとおりで、私は19_19を監督していない。でも、あのデザインフィロソフィーは100%シトロエンであり、我々がいま開発している未来のシトロエンに活かせるものだ」と非常に前向きなコメントが返ってきた。

「シトロエン、そして一般論としてフランスのブランドは、時代の変わり目でいつも多くの勇気を示してきた。シトロエンが際立つためにも自動車産業を先に進めるためにも、いま鍵になるのは創造性だ。だから私はデザイナーたちに、新型車開発にあたってできるだけ遠くまで発想を飛ばすように求めている」

19_19のボディは透明なカプセル形状。それが幅狭大径タイヤの上に浮いているように見える。なるほど大胆なデザインだ。こういう大胆な創造性が次なる100年に向かうシトロエンにとっても、“100年に一度の変革期”にある自動車産業にとっても必要だ、とルクレールは考えているのだろう。彼が白紙から手がけた新世代のシトロエンが登場するのは、3年後か4年後か。その日が待ち遠しい。

2019年5月の技術展示会『Viva Tech』で披露された19_19 Concept。カプセル型の透明ボディに大径タイヤを組み合わせた大胆なデザインだ。後席部分のブルーは細かいメッシュパターンなので、車外からの視線は遮りつつ室内からは外が見える。ルーフ上のふたつの突起は、自動運転用のLIDERセンサー。3m超のホイールベースで広い室内空間を確保し、ソファのような助手席がシトロエンらしい快適さを強調する。これもルクレールがシトロエンに着任する前にデザインされたものだが、「このデザインフィロソフィーには完全に賛成だ」と、アミ・ワンより一歩踏み込んだ感想を吐露。彼は今後のシトロエン・デザインに高い創造性を求めており、19_19はそれに合致するということのようだ。19_19から将来製品につながる要素として彼は、ユニークで認識されやすい顔つきと空力的な工夫の2点をあげている。