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グループBより自己主張が強かったグループ4!RENAULT 5 TURBO 2 & AUDI QUATTRO

ラリーカーで一番好きなのはやっぱりグループB? ただちょっと待って欲しい。グループBは速さを追求するあまり、全車がミッドシップ+4WD化してしまった。その前の時代の主役、グループ4マシンは、もっと自由な発想で開発されていたのだ!

TEXT / 嶋田智之 PHOTO / 奥村純一
SPECIAL THANKS / オートモービルアシスト・ブレス(https://themotorbrothers.com/special-shop/12731

グループBより自己主張が強かったグループ4!

あなたが憧れるラリー・マシンは? と訊ねられたら、多くの人は1983年から1986年にかけての、WRCこと世界ラリー選手権がグループB規定で争われていた頃のマシンの中から1台を選ぶことだろう。

納得、である。何しろホモロゲーション獲得のための生産台数条件は年間200台。実質的には何でもありのような規定が生み出した、過激なルックスとスピードを誇るクルマ達だ。ガワにこそ市販車の面影を残すものの中身は完全な競技専用設計、それも時とともにプロトタイプ・スポーツカー並みに進化していったグループBマシン達は、存在そのものが桁外れで、そして僕達はそこに惹き付けられたのだから。

けれどあの時代、勝利へ近づくための方程式は比較的早いうちに見えていて、ミッドシップ+4WDのクルマを200台のノルマを果たした順から投入しはじめるような流れが生じていた。マシン作りにまつわるメーカーごとの考え方が、同じベクトルに傾いていた。

そういう意味で最も面白かったのは、グループ4時代だっただろう。1973年のWRC初年度から1982年までのトップカテゴリーは、初期の頃は本当に市販車に改造を加えたマシンで争われ、勝つことだってできた。ところが、石油危機の影響で離れていこうとするマニファクチャラーを引き留める意味合いがあったのか、ホモロゲーションのための規定生産台数が当初の“12ヶ月に500台”から“24ヶ月に500台”へ、そして“24ヶ月に400台”へと次第に緩くなっていく。しかも許される改造範囲の自由度がもともと広かったにも関わらず、年月が進むにつれてさらに広がっていく。そうした流れの中で様々なエンジン搭載位置や駆動レイアウトを持ったクルマ達が、様々な改造を受け、ラリーを戦った。そこにはマシン作りにまつわる哲学があり、試行錯誤があり、何より強力な主張があった。そしてバラエティに富んでいた。

そうしたグループ4時代の最も象徴的な存在は、ルノー・サンク・ターボとアウディ・クワトロだろう。何が正解なのかが全く定まっていなかった時代にそれぞれへ投入された発想の転換のようなアイデアが、その後のラリーの世界を一変させたのだ。

最初の革命は、1978年のパリ・サロンだった。異形のルノー・サンクが訪れた人を驚かせた。それはベストセラーとなっていた前輪駆動の小型車、サンクをベースにしたミッドシップ・カーで、WRCに投入することを目的に開発されてきたものだった。

御存知のとおり、ミッドシップ・レイアウトを持つラリー・マシンは、これが初めてではない。1974年から選手権に正式に投入されて猛威を奮ったランチア・ストラトスがある。が、ストラトスは最初からラリーでの勝利を睨んだミッドシップ・マシンとして企画され、それを細々と市販したもの。ホモロゲ取得もウルトラCのような手法でクリアしたものだ。ルノーのやり方は全く正反対で、大衆車のハッチバック・ボディを用いながらパワートレインを180度回転させてフロントシートの後ろにレイアウトするという、コロンブスの卵的な発想でミッドシップ・マシンを作り上げたのだ。これがなければ、プジョー205ターボ16やランチア・デルタS4といった、グループB時代に突入してからのライバルは違うカタチで登場していたかも知れない

ルノーはこのサンク・ターボ以前には前輪駆動のサンク・アルピーヌでWRCに参戦していて、格下のグループ2で出場していながらモンテカルロやコルシカで総合2位に入るなど、活躍を見せていた。が、さらにエンジンのパワーを上げてもう1ステップ上を目指すとなると、前輪駆動では厳しい。そこでミッドシップ化を図ってコーナリング性能とトラクション性能を稼ぎ出そう、というのが開発意図だった。

1981年WRC開幕戦モンテカルロ・ラリーでデビューウィン。コルスのようなターマックで強さを発揮した。

エンジンはサンク・アルピーヌ・ターボの1.4リッターターボを、ロードカーでは160ps、初期の競技車両では185ps(グループ4最後期は250ps)までチューンナップ。サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン+コイル、ブレーキは前後ともベンチレーテッドディスクへと変更されている。ホイールベースはほぼそのままながらトレッドがフロントで50mm、リアで200mm拡大されており、それを収めるためにフェンダーも大幅に拡幅されている。それでも全体的なスタイリングが見事にバランスしているのは、リアまわりの造形を中心にベルトーネ時代のマルチェロ・ガンディーニが手掛けたものだからだろう。

サンク・ターボは1980年に実戦にデビューし、グループ4時代には2勝を挙げるなど健闘を見せた。たった2勝で健闘と表現したのは、完全に熟成が進み切っていたコンベンショナルなFRモデルが台頭していた時期に飛び込んでいったうえに、次に紹介するモデルがデビュー直後から猛威を振るいはじめた中で、小排気量ながら上位に食い込む速さを見せていたからだ。

デビュー直後から猛威を振るいはじめたそのクルマの登場は、もうひとつの、そしてラリー史上最大の革命だったといえるだろう。1980年のジュネーヴ・ショーで発表された、アウディ・クワトロである。パッと見では80クーペをブリスターフェンダー化しただけのように思えるこのクルマは、その後のラリーの世界を─そしてアウディ製ロードカーの世界を─ガラリと変えることになる仕組みを持たされていたのだ。そう、今やとっくにアウディの代名詞となっている、フルタイム4WDの“クワトロ”システムだ。

1982、84年にWRCでメイクスタイトルを獲得。4WDのトラクションを活かし、グラベルで特に強かった。
初期のラリーカーの透視図。極めて質実剛健に仕立てられていたのがわかる。

当時、4WDというのは悪路を走破するための技術であるというのが一般的な認識で、必要なときのみ4WDに切り替えて走るパートタイム式が当たり前だった。だがアウディは、オフロードのみならずオンロードでも路面コンディションは一定ではなく、エンジンのアウトプットをあらゆる路面に効率よく確実に伝えるには4つのタイヤ全てで駆動することが有効と考え、センターデフを内蔵したフルタイム4WDシステムを開発したのだった。

その機構に組み合わせられたパワーユニットは、200用をベースとした直列5気筒の2.2リッターターボ。ロードカーでは200ps(日本仕様は160ps)、初期の競技車両では310psまでチューニングされ、フロントのボンネットの下に搭載されていた。

WRCでの実戦デビューは1981年。緒戦から恐るべき速さを見せ、2戦目にして初勝利。翌1982年は圧倒的な強さでシリーズを制覇している。初期のクワトロ・システムはアンダーステアが強かったというが、それを補って余りあるトラクション性能と安定性を発揮していたのだ。他のメイクスにとって大きな衝撃だったに違いない。

だが、選手権がグループBに移行すると、アウディ・クワトロの優位性は絶対的なものではなくなってくる。新規定の元に作られた新世代マシンのほとんどが、サンク・ターボのようにミッドシップ・レイアウトを採り、アウディ・クワトロのようにフルタイム4WDシステムを備えていたのだ。時代の流れというのは、時として皮肉である。

今、それぞれのストリート・バージョンを走らせてみても、“速さ”という点では驚くほどのものはない。クルマはこの35年少々の間に大きく進化してるのだから。けれど、例えばサンク・ターボでは現代のクルマでは味わえないドッカン系ターボの味わいと荷重移動を利用した鋭い回頭性、アウディ・クワトロではスムーズで緻密な速度の伸びと4つの足で路面を掴んでは蹴っていく感覚が、それぞれちゃんと楽しめる。そんなふうにエンジニア達の主張を明確に感じながら走れるのって、クルマ好きにとって素晴らしいことだよな、と心から思えてくるのだ。

1985 RENAULT 5 TURBO2

コロンブスの卵的な発想で作られたミッドシップ・マシン

異様なまでに張り出したリアフェンダーが大迫力のリアビュー。この姿に憧れた人も多いことだろう。
現車はゴッティのアロイホイールを装着している。サイズは195/50VR15。
タイヤはピレリP7を装着。リアタイヤのサイズは285/40VR15を装着。
この時代のフランス車は、樹脂パーツが白くなったり、加水分解してしまうことが多いが、ルノーはほとんどのパーツがまだあるそうだ。
インテリアは、強烈なデザインとカラーだったターボIに比べ落ち着いた雰囲気。ほぼノーマル5のものを流用している。
シートはこれまで運転席にバケットが付いていたため、非常に良い状態だった。
リアシートがあるべき場所に、縦置きされる1.4リッターターボ・エンジン。さすがに室内が暑くならないよう、様々な遮熱対策が施されている。
FFモデルではエンジンが収まるフロント部分には、ラジエターやスペアタイヤなどが収まる。
デビルのエキゾーストが装着されており、迫力あるサウンドだった。
車内のエンジンカバーには保護用ビニールが残り、リアウインドウのステッカーも新車当時のまま!

TOPICS

アバンギャルドな5ターボ1

1978年に発表された5ターボ(1)は、ルーフ、ドア、テールゲートがアルミで、前衛的なシートやインパネを持っていた。1800台程作られた後、1983年から各部をスチールとし、一般的な内装の5ターボ2が登場した。

グループB時代はマキシに進化

グループB時代になると、WRCに参戦する5ターボは次第に改造範囲を拡大。1985年には1.6リッターターボで350psを発揮し、各部を大幅に強化したマキシ5ターボが登場。同年のツール・ド・コルスで優勝を飾った。

SPECIFICATION
RENAULT 5 TURBO2
全長×全幅×全高:3665×1750×1325mm
ホイールベース:2430mm
車両重量:970kg
エンジン形式:水冷直4OHV+ターボ
総排気量:1397cc

最高出力:160ps/6000r.p.m.
最大トルク:22.5kg-m/3250r.p.m.
サスペンション(F&R):ダブルウィッシュボーン+コイル
ブレーキ(F&R):ベンチレーテッドディスク
タイヤ(F/R):190/55VR340/220/50VR365

1984 AUDI QUATTRO

ライバルを圧倒した元祖4WDスポーツ

テールライトはこの初期型のみスモークではない。リアスポイラーは本来黒だが、ボディ同色になっている。
サイドウインドウのquattroの文字も掠れなし。
オプションの8Jホイールはカッパーに塗装されている。
ベースになったFFのクーペと異なるのが、このブリスターフェンダーだ。
インパネは80年代らしくサテライトスイッチを備える。ステアリングはイタルヴォランテに交換。
バケットタイプのスポーツシートは日本仕様としては珍しいレザー張り。
フロントオーバーハングに縦置きされる直5ターボ・エンジン。ホース類はステンメッシュなど耐久性の高いものに交換されている。

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同じに見えて細かい仕様違いが存在

本国で1983年にマイナーチェンジされた中期型が日本には1984年後期から輸入された。ヘッドライトが異型2灯となり、テールレンズがスモーク化された。

本国で1985年に再度マイナーチェンジされ、内外装を一部変更。リアスポイラーがボディ同色となる。

日本未導入に終わった仕様も

クワトロにはデジタルメーターも存在したが、日本仕様には用意されなかったという。また本国で1989年にDOHC20バルブ化され、220psに出力を向上したモデルが登場するが、日本には正規輸入されなかった。

グループB時代はスポーツクワトロ

グループB時代が進むとクワトロは苦戦を強いられ始めた。そこでホイールベースを320mm縮め、DOHC4バルブ化で300psとしたエンジンを搭載するスポーツ・クワトロが1983年秋に登場した。

ロードカーのスポーツ・クワトロは200台限定で販売された。
1984年終盤に実戦デビューし、1985年からフル参戦したが、成績は今ひとつ。

そこで同年後半から更に過激なEvo.2が投入されたが、強力なライバルの前に結局僅か1勝を挙げただけでGr.B時代が終了した。

SPECIFICATION
AUDI QUATTRO(日本仕様)
全長×全幅×全高:4404×1723×1344mm
ホイールベース:2524mm
車両重量:1360kg
エンジン形式:水冷直列5気筒SOHC+ターボ
総排気量:2144cc

最高出力:160ps/5500r.p.m.
最大トルク:23.5kgm/3000r.p.m.
サスペンション(F&R):ストラット+コイル
ブレーキ(F/R):ベンチレーテッドディスク/ディスク
タイヤ(F&R):205/60VR15

PROFILE/嶋田智之

グループ4ラリーカーが活躍した頃10代を過ごした世代で、この辺りの車両はどストライク。ついつい話が熱を帯びてしまうことに。