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スカンジナビア生まれの流麗なクーペVOLVO P1800E

かつて1980年代中盤、欧州ツーリングカー選手権で暴れまわったボルボ240は、その四角い容姿から「フライング・ブリック」(空飛ぶレンガ)と呼ばれ、1990年代中盤にもボルボ850がワゴンボディで英国ツーリングカー選手権に参戦。このようにボルボ=四角いクルマというイメージがあるが、その昔は低く流れるような美しいボディラインを持ったクーペも存在していたのだ。

TEXT / 石川芳雄 PHOTO / 内藤敬仁
SPECIAL THANKS / ボルボ・カー・ジャパン(https://www.volvocars.com/jp

スカンジナビア生まれの流麗なクーペ

ボルボP1800は1960年のブリュッセルサロンで発表され、翌年からデリバリーが始まった2ドアクーペだ。

当時のボルボは、4つの独立したフェンダーを持つクラシカルなPV544がまだ現役で、その後を受けるボルボ120(アマゾン)がようやく登場した頃。いずれもずんぐりとした実用車で、実際ボルボはそう言ったモデルが得意なメーカーとして認知されていた。

そんなボルボが、ロングノーズかつスモールキャビンで、テールフィンまで備えたこのように伸びやかなクーペを出したのだから注目を集めるのは当然。折しも、ロジャー・ムーアの主演で始まったイギリスのテレビドラマ「セイント」で、主人公サイモン・テンプラーが乗るクルマとして登場した(車種を選択したのはムーア自身と言われている)事もあって人気を集めて行く。

今回試乗したのは、P1800は1971年式。73年まで13年間現役を続けたP1800の中でも後期に当たるモデルで、当初1.8リッターのツインキャブで100psだったOHVエンジンは、2.0リッターに拡大され、ボッシュのDジェトロニックという燃料噴射に改められていた。

ボディサイドのクロームのモールが直線で、テールフィンにはエアのアウトレットやガソリンフィラーが追加され、グリルは細かい縦桟が入った黒の樹脂製となるなど、外観も初期モデルから変更された部分が少なくないのだが、それでもオールドボルボの整備で知られるクラシックガレージが仕上げたサファリイエローのボディは、当時の雰囲気を正確に今に伝えていた。

近年のボルボは、水平基調の落ち着いた佇まいながら退屈ではない、独自のスカンジナビアンデザインを確立し、世界のデザインアワードを総なめにしたXC90を皮切りに展開を拡大中だが、このP1800は、当時のボルボラインナップの何物にも似ていない。使用されるシャシーコンポーネントはアマゾンと共用する物も多いのだが、デザインは全く独自路線だ。一体どういった経緯で、この魅力的なスタイリングが突然生まれたのか調べて行くと、興味深い事が分かって来た。

一般にP1800のデザインは、イタリアのコーチビルダーであるフルア社が担当した事になっている。社主のピエトロ・フルアはその後多くのマセラティをデザインした事で有名だ。しかし、ボルボが最初にデザインプロポーザルを依頼したのはフルア社ではなくカロッツェリア・ギア社だった。

ところが、当時のギア社はP1800の競合車種となるカルマンギアを手がけていた。そこで社長のルイジ・セグレは、ギア社のデザインディレクターに抜擢していたフルア個人にこの仕事を振る。だからP1800のデザイナーはピエトロ・フルアで間違いはないのだが、実はもう一人、重要な人物が居たのだ。

彼の名前はペレ・ペッターソン。PV444/544を開発したヘルメル・ペッターソンの息子である。当時まだ20代だった彼は、父の影響もあったのだろう、自動車のデザインに興味を持ちフルアとも交流があった。そんな経緯からいくつかのデザインスケッチを製作し、フルアの監修の元でP1800にまとめて行ったのが真相のようだ。もちろん仕事を請け負ったのはギア社だから、ボルボの経営陣への提案はルイジ・セグレが行ったが、その後3台のプロトタイプを作る役目は、フルアとペレ・ペッターソンの手に委ねられている。

ペッターソンとクルマとの関わりはP1800が最後だったようだが、彼にはもう一つ、ヨットレーサーの顔もあった。スター級と呼ばれるカテゴリーを得意とし、1964年の東京オリンピックでは銅メダル、72年のドイツでは銀メダルを獲得。77年と80年にはスウェーデンチームのスキッパー(艇長)としてアメリカズカップにも挑戦したというから、むしろ本業はこちらだろう。

ヨットデザイナーとしても成功し、マキシ77やモナーク540といった北欧のベストセラー艇を手掛けた。これは僕の私見なのだが、P1800のアイコンとなっているドアの部分でキックアップするサイドラインは、ペレ・ペッターソンが船の舷側にヒントを得て創り出したのでは? と思えてならない。

デザインの話はこれくらいにして走り出そう。ボルボが3点式シートベルトを発明したのは1959年なので、P1800も当然装備している。ただリトラクターは無いので、シートスライドを合わせた後に、弛みの出ないように長さを調節。外す時は室内中央にある大きな赤いリリースレバーを操作する。

大柄なスウェーデン人に合わせたからか、P1800はペダルルームが深く、僕の体型だとスライドをかなり前に出さないと足が届かない。勢いステアリングが迫るが、ノンパワーで低速域では操舵力が重いので、このくらい近い方が力が入って具合がいい。

インパネに挿したキーを捻ると、野太い音と共に130psの20Bエンジンが目覚めた。さほど重くないクラッチを踏み込み、カチッと明瞭なゲート感を持つZF製4速M/Tを1速に送り込んだら、左ハンドルのシート左側フロアにあるパーキングブレーキをリリースしスタート。クラッチのミート感にクセは無いし、車重が1120kgと軽い事もあって走り出しはなかなか軽快だ。

今どきの多段ミッションに慣れていると、4速M/Tは1速ずつの守備範囲が広くて退屈しそうだが、この20B、リミットは6500r.p.m.とこの頃のエンジンとしては高く、しかも3500r.p.m.を過ぎた所からトルクに厚みを増す高回転型なので、あまりズボラ運転は出来ない。この辺がスポーツカーたる所以か。

ただ足まわりはそんなにハードではなく、乗り心地もどっしりと重厚。サイドウォールの厚い165SR15のタイヤなのでハンドリングも穏やかだ。ちょっと面食らうのは、ステアリングの遊びがかなり大きい事。旋回はその遊びを乗り切った後から始まるので、余計におっとりした印象が強くなる。

その点を除けば、この年式では4輪ディスクになったブレーキは良く効き、日常の足として十分に使える。

ボルボ歴の長い僕としても、こんな趣味クルマが一台あればと思うが、P1800は元々の生産台数が少ない上に、多くがアメリカに向けられたため、日本での生息数は限られている。もし路上で見かける機会があったら、それはかなりラッキーな出来事なのだ。

クロームで描かれたテールフィンは、デザイナーでありヨットマンであったペレ・ペッターソンならではのボディライン。

テールフィンのクロームモールはドアノブから始まっている。

ブラックとクロームの組み合わせは現代のホイールにも通じるデザイン。タイヤはミシュランのクラシックタイヤであるXZXを装着。

後期のモデルとなる1800Eでは、排気量が2000ccにアップ、インジェクション仕様となり130psまで出力が上がった。

様々なメーターとスイッチ類に囲まれたコクピットまわり。ステアリングから生えるレバーは、左はウィンカーとヘッドライトのロー/ハイの切り替えとなり、右はオーバードライブのON/OFFスイッチとなる。サイドブレーキは左側に備わる。

柔らかい当たりで座り心地に優れるシート。リアシートがあるが、スペースはミニマム。

MORE INFO.

13年生産が続いたロングセラークーペ

今ではシリーズを通してP1800と呼ばれているけれど、車名の前にPが付いたのはイギリスのジェンセン社に生産委託をしていた最初の2年だけ。1963年に本国ルンドビーに生産が移されてからはボルボ1800Sが正式な車名となった。ちなみに最後のSはスウェーデン製を意味する。69年まで生産が続いた1800Sは108ps、115psと年を追うごとにパワーアップされ、最後の1年は車名は1800Sのまま排気量を2000ccに拡大し118psを得ている。

1970年に入ると、試乗したインジェクションで130psの1800Eにバトンタッチ。この仕様は72年で生産を終えるが、71年半ばにテールエンドをガラスハッチに大改装した1800ESが登場し、これは73年まで作られた。

SPECIFICATION
VOLVO P1800E
全長×全幅×全高:4325×1690×1280mm
ホイールベース:2450mm
車両重量:1130kg(乾燥)
エンジン形式:直列4気筒OHV
総排気量:1986cc

最高出力:130ps/6000r.p.m.
最大トルク:17.0kg-m/3500r.p.m.
サスペンション(F/R):ウィッシュボーン/トレーリングアーム
ブレーキ(F&R):ディスク
タイヤ(F&R):165SR15

PROFILE/石川芳雄

自動車評論家。ボルボに長年乗り続け、ボルボに関しては業界随一の知識量を持つ。遠出、寄り道が大好きで、その方面も詳しい。