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自動車技術&文化史探訪

小型乗用車におけるその歩みリアエンジン考──過去と近未来

リアエンジンの代表格はやはりポルシェ911だ。911はリアエンジンであることがなによりのアイデンティティであり、莫大な開発費を投じて、トップクラスのスポーツカーとしての地位を保ち続けている。911という名を使い続ける限り、エンジンはリアエンドに置かれていなければならないだろう。今回このコーナーでは、リアエンジン車について、小型乗用車に焦点を合わせて、その歩みを思いつくままに記してみたい。

TEXT / 伊東和彦
言わずと知れたポルシェ911にとってリアエンジンはその象徴だ。(Porsche Archives)

「クルマのメカニズムの中で最も邪魔なものはエンジンだ。次が駆動系だ」こう言ってしまったら、なんという暴言だと非難されることだろう。確かに極端な物言いには違いないが、小型の乗用車を想い浮かべてみれば、その車両寸法と重量に占めるエンジンや駆動系の割合が極めて大きいことがわかる。そういう意味だといえば、おそらく理解していただけるだろう。場所を取るものは、小さく、軽く邪魔にならないように置けばいい。

エンジンをどこに置く?

現在、二酸化炭素削減という目的のために、クルマのダウンサイジングが盛んに行われている。クルマをダイエットして、燃費を向上させ、二酸化炭素を減らそうというわけだ。クルマを小さくすれば、使用する材料も少なくなってコストダウンが見込め、軽くなったぶんエンジンも小さくて済み、燃費の向上も果たすことができる。これは環境面でも効果的であるのはもちろん、燃費向上はユーザーに歓迎されることになる。

小型車の発展を振りかえれば、その手法には大雑把にいって2種があったことがわかる。当然のことながら、クルマを小型化したからといっても乗員の寸法は同じだから、クルマのサイズは小さくしつつも居住空間は狭くしないという、相反する課題が設計者に求められることになる。

そのひとつが、標準サイズのクルマをそのまま縮小する方法で、さながら縮小コピーに掛けたようにすべてをスケールダウンすればいいが、この手法では室内スペースも一緒に縮小されてしまうことが難点になる。だが、自家用車を持つことが最優先課題(夢の実現)だった時期には、室内が狭いと苦言を呈する顧客はまずいなかっただろうから、この手法でも特に問題はなかった。第二次大戦前には、それが標準的な小型大衆車製作の手法であり、イギリスのオースティン・セブンはその代表格だが、窮屈ながらも4名分の席があり、なにより幌型でも2輪車より耐候性に優れていた。

もうひとつが、最初から小型車として設計する方法だ。このためには、旧来のレイアウトを根底から覆す技術革新が必要となる。ここでいう旧来のレイアウトとは、フロントにエンジンを配置し、プロペラシャフトで後車軸を駆動するという後輪駆動方式(FR)だ。限られたサイズの中に快適な室内空間を得ようとすれば、エンジンルームや駆動系に使われるスペースを最小限に押さえることが必要になる。つまりスペースユーティリティーを考慮したレイアウトの再構築だ。そこで自動車の標準駆動方式であったフロントエンジン・リアドライブを見直し、エンジンと駆動系を一体化したうえで、車体の隅に押し込んでしまえばいいことになる。この目的に好都合だったのがリアエンジン方式だった。そして、BMCミニによって横置きエンジンの前輪駆動が大きな成功を収めるまで、リアエンジンは広い室内と軽いクルマを造るためには有効な手法になった。

VWビートルの存在

フェルディナント・ポルシェ博士はフォルクスワーゲン(1938年発表)にリアエンジン・レイアウトを採用し、軽い車重と広い室内を得たことはよく知られている。VWビートルが採用したリアエンジン、独立4輪懸架、センターバックボーン構造のシャシーなどは、VW誕生以前にチェコのタトラで働いていたハンス・レドヴィンカ技師の手によって具体化されたものだった。ポルシェ博士はこれらの機構・コンセプトを、自身が理想とする効率的な小型車に応用した。

ポルシェはVWから無駄を省くことで効率化を推し進めたが、車体寸法は永年にわたって暖めてきた国民車構想のなかで到達した、“必要にして充分な効率的かつ標準的サイズ”であり、建設が始まったアウトバーンを家族が快適かつ経済的に移動するのに必要な大きさだった。その実現にはリアエンジン以外の選択肢はなかった。

いかに車室が広いかをアピールしているVWビートルの広報写真。エンジンが邪魔にならない“隅っこ”に押し込まれている様子が分かる。(VW Archives)
VW以前のリアエンジン車

ポルシェ博士がVWを設計する以前にも、ドイツではダイムラー・ベンツによってリアエンジン車開発が行われていた。メルセデス・ベンツは、安価で小型なクルマを設計するに当たって、自動車の限られた空間を有効に利用する技術として、これを選択している。

メルセデス・ベンツが試作に着手する転機となったのは、1929年の世界大恐慌の勃発で、高級車だけカタログに並べていては商売にならず、小型で安価なモデルが必要になったからだった。1931年に登場した試作第1号(W17)は、ホイールベース2500mmのスチールチューブ構造のセンターバックボーン・フレームを持ち、リアに水平対向エンジンを搭載していた。この構造は後のVWビートルに極めて近く、VWよりホイールベースが10cm長い程度だった。

おもしろいことに、このダイムラー・ベンツの小型車計画には、オースティン・セヴンのライセンス生産で4輪車に進出したばかりのBMWが関心を示し、ダイムラー・ベンツとBMWは開発における協定を結ぶことになった。この協定では、ダイムラー・ベンツは1300ccクラスのフロントエンジン車とリアエンジン車の開発を担当。BMWは4気筒800ccと、6気筒1200ccの2モデルを開発し、テストを経て、どれを製品化するのか決定するというものだった。結果的に、ダイムラー・ベンツはリアエンジン車を、BMWはフロントエンジン車を各社独自に生産化することになった。

VW以前に登場したリアエンジン車。1934年メルセデス・ベンツ130H。(Daimler Archives)
メルセデス・ベンツ130Hのシャシー。エンジンは水冷直列4気筒だが、シャシーのレイアウトはビートルに極めて近い。(Daimler Archives)

ダイムラー・ベンツが生産化したリアエンジン車(社内呼称W23)は、試作したW17のチューブラーバックボーン・フレームとスウィングアクスルをから引き継ぎ、前輪も独立懸架として、リアに新開発した1308ccから26ps/3400r.p.m.を発揮する水冷直列4気筒エンジンを搭載した。設計に当たっては、“4名の乗員の着座位置は前後車軸間のコンフォートゾーンに置き、エンジンを可能な限り小型化したうえで、リアアクスル直後に置くこと”を基本要件として定めていた。ホイールベースは2500mm、空車重量は880kg、前後重量配分は35:65と発表された。市販にあたってモデル名を130として、1934年2月ベルリン・オートショーでデビューした。

これは私見にすぎないが、自らの設計事務所で国民車の開発生産を続けていたフェルディナント・ポルシェは、かつての古巣(ダイムラー時代の1923年から’28年まで在籍)であったダイムラー・ベンツの小型車開発の動向を念頭に置き、VWビートルを具体化していったことだろう。

1934年にプラハ・ショーで発表されたタトラT77は、空冷3.4リッターV型8気筒エンジンをリアに搭載した。(TATRA Archives)
タトラT77のシャシー。フェルディナント・ポルシェのVWビートル開発に大きな影響を与えた。(TATRA Archives)
欧州の小型車がリアエンジンになびく
リアエンジンで成功したフィアット600の派生モデル、ムルティプラ。そのレイアウトを最大限に生かし、WB2000mmながら、3列シートの広い車室を得た。もし4気筒エンジンが横置きなら、もっと広くなった?(FIAT Archives)

VWビートルは戦後になって量産が始まり、世界中に輸出されていくと、やがてリアエンジン小型大衆車の基本フォーマットと化した。1955年にイタリアの巨人、フィアットが放ったフィアット600に用いられたことが大きな潮流となった。これを転機に小型フィアットのリアエンジン時代が始まった。フィアットにとって最も小型であったフィアット500トポリーノの後継モデルとしてダンテ・ジアコーザが手掛けたフィアット600は、“大型車を縮小する”という手法ではなく、最初から小型大衆車として計画されたクルマだった。全長3.2m、ホイールベース2mというボディ寸法の中で最大限の室内空間を得るためにリアエンジンを採用している。これにより同じようなサイズでFR機構のフィアット500トポリーノよりはるかに広い車室を得て、大人4名分の座席を備えていた。前述したようにフィアット500トポリーノは、大きなクルマを巧みに縮小しているが、小型化の代償として、初期モデルは2座席であった。

フランスではルノー4CVがリアエンジンを採用して成功した。これはいかに車室が広いのかをアピールした広報写真。
超小型車でリアエンジンを採用して成功したモデルは多いが、その中でも筆頭はこのゴッゴモビル(ドイツ)だろう。(MCL Archives)

こうして、フランスではルノー4CVやシムカ、ドイツのNSU、チェコのシュコダ、日本では日野のほか軽自動車がリアエンジンで成功を収めていった。フィアットはさらに600より小型のヌォーバ500を投入するが、全長が3mほどの全長でありながら4座席が実現できたのはリアエンジンゆえであり、エンジンも省スペースのために2気筒にしたことで可能となった。ヌォーバ500はその愛くるしいスタイリングに注目が集まるが、注目すべきはその巧みなレイアウトであると思う。

言わずと知れたスバル360もリアエンジンを採用したことで広い室内を実現することができた。(SUBARU Archives)
現代そして近未来

BMCミニの成功が先鞭を切ったことで、小型車はリアエンジンから前輪駆動方式に大きく舵を切ることになり、現在では、小型車大衆車に限らず、大きな車体寸法のセダンやミニバンまでも前輪駆動を採用し、リアエンジンはごく少数派となっている。混雑した都市での移動手段として登場したsmart。三菱の軽自動車『i』は、久々の日本車のリアエンジンだった。

そうした中で2014年に登場したルノー・トゥインゴの3世代目は、これまでの前輪駆動からリアエンジンによる後輪駆動に大転換を果たした(トゥインゴはダイムラーからはsmartフォー・フォーとして販売される姉妹車の関係)。トゥインゴでは、リアに3気筒エンジンを横置きに搭載しているが、一見したところどこにあるのか分からないほどコンパクトにまとめられている。フロントにドライブシャフトが存在しないことから、舵角は大きく、驚異的に小回りが効き、狭い市街地で実に使いやすい。トゥインゴやスマートに乗ると、省資源のダウンサイジングため、あるいはゼロ・エミッション・ヴィークルでは、リアエンジン(EVの駆動用モーター)を採用する例が増えてくるのではないかと思えてならない。

小型車開発の歴史を振り返ると、リアエンジンが
快適な小型車づくりのために貢献したことがわかる
この稿では異端なリアエンジン車、シボレー・コルベア。6気筒水平対向。押し寄せるビートルに対抗するために造られたが、リアエンジンである必然は希薄だった。(GM Archives)
高い安全性を求めて登場したアメリカのタッカー・トーピード。5.5リッター水平対向6気筒エンジンをリアに搭載したが、55台のみで終わった。(MCL Archives)
デロリアンDMC-12はリアエンジンを採用した。ロータスが設計を手掛け、エラン流の鋼板溶接構造のバックボーン・フレームを採用した。(De Lorean Archives)
BMWの小型モデルとして登場した700は、リアに2輪から派生した水平対向2気筒エンジンを搭載した。(BMW Archives)
ドイツのNSUはリアに4気筒エンジンを横置きに搭載した。リアエンジンにしてはノーズが長く、トランクルームが広いことを売りものにしていた。(AUDI Archives)
英国車はフロントエンジンの後輪駆動が一般的で、リアエンジンは異端だった。BMWミニに対抗してルーツ・グループはヒルマン・インプとその姉妹車を投入したが、ミニの牙城を崩すことはできなかった。(Roots Archives)
タトラ613。タトラは1998年までリアエンジンモデルを長く造り続けた。究極的には空冷V8エンジンはDOHC化されたが、その3.5リッターの排気量はポルシェ911に抜
かれるまで、リアエンジン量産乗用車で最大排気量だった。(TATRA Archives)
ダイムラーのスマートはリアエンジンで超小型のシティーカーを成立させた。(Daimler Archives)
トゥインゴの側面。全長3620mm、ホイールベース2490mmの中に最大限の車室を実現すべくリアエンジンを選択したのだろう。(Renault Archives)
3気筒1000ccエンジンはリアに横置きされている。(Renault Archives)