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自動車技術&文化史探訪

存在感のあるチェコの自動車メーカーシュコダ ──東欧から世界に

フォルクスワーゲン・グループ内で大きな存在感を示しているメーカーに、チェコのシュコダがある。もっか世界ラリー選手権では大活躍中なので、しばしばモータースポーツニュースにも登場している。今回は、日本では耳慣れぬこのチェコのメーカーにスポットを当てた。

TEXT / 伊東和彦

シュコダは日本市場には導入されていないブランドだが、欧州ほか各地に輸出されており、フォルクスワーゲン(VW)と変わらぬ品質を持ちながら安価なことから好調な業績を示している。さらに、現在、世界ラリー選手権のWRC2カテゴリーではファビアR5が活躍中で、この活発なモータースポーツ活動のルーツを辿れば、2輪車でのレース開始から120年以上にもなるという。

現在のシュコダはチェコの政変を機に将来への模索を開始、1991年に国営企業体から脱し、VWグループに組み入れられシュコダ・オート社を名乗っている。その生い立ちは古く、兵器と機械製品を手掛けるメーカーをルーツとし、なかでも高い工作技術が求められる機関銃を得意としていた。

1924年頃からはイスパノスイザと提携して、直列6気筒6.6リッターエンジンを搭載した豪華車のライセンス生産を開始していた。翌1925年に自転車メーカーから自動車生産に転じたチェコのラウリン・クレメント社と合併したことが転機となって、本格的に自動車生産を開始した。このラウリン・クレメントは、オーストリア・ハンガリー帝国時代の1894年に創業したという古い会社で、同国で初めて自転車生産を手掛けたばかりか、モーターサイクル、自動車(1905年)でも同国のパイオニアであった。

シュコダは、1928年に初めて自社開発の四輪車を開発し、1933年には先進的なメカニズムを持つ小型車のタイプ420を発表している。このモデルの特徴はシャシーにあり、バックボーンフレームに、スウィングアクスル式の後輪独立懸架という、当時の平均的なクルマの技術レベルからすれば先進的なものであった。そのフロントに直列4気筒の995cc、20PSエンジンを搭載した。チェコと言えば、タトラがバックボーンフレームにスウィングアクスルをいち早く採用し、その影響を強く受けたポルシェ博士(初代)が、リアエンジンに置き換えたうえでVWビートルに用いたことはよく知られている。シュコダもまた、このバックボーンフレームとスウィングアクスルの組み合わせを長く使い続けることになる。

翌1934年にはさらに小型の903ccエンジンを搭載した大衆車、その名も“ポピュラー”を投入し、成功を収めた。シュコダがモータースポーツで大きな活躍を見せるようになったのは、このポピュラーの存在が大きかった。1936年のモンテカルロラリーでは、カーナンバー54のポピュラーSが総合20位、クラス2位という好成績を収めている(優勝車はフォードV8)。同社の中心車種となったポピュラーは1938年に一新され、エンジンがSVからOHVの1100ccに進化した。この時のシュコダのラインアップは1600cc42psのラピッド、3140cc85psのスパーブの3モデルであった。

1936年のモンテカルロラリーでは、シュコダ・ポピュラーSが総合20位、クラス2位という好成績を収めている。これはゴール後の様子。
レストアが施されシュコダのミュージアムに保存されている、1935年935ディナミーク・プロトタイプ。見るからに空力的なボディを持ち、長いホイールベースとリアタイヤ前にスリットを備えることから想像できるように、ミドシップ・レイアウトを採用したセダンだ。アルミを多用した軽量ボディに水冷水平対向4気筒2リッターの54bhpエンジンを搭載。1170kgの車体を140km/hまで引っ張った。試作だけに終わったが、シュコダの先進性を感じさせるモデルだ。

だが、間もなくチェコスロヴァキアの将来には暗雲が立ちこめた。第二次大戦は同国にとって過酷な試練の時であった。1939年3月15日にドイツ軍によって占領されて以来、ナチスドイツからの命令に翻弄され、戦中はシュコダが得意とする兵器のほか、オフロード用軍用車の生産に追われた。だが、ドイツ軍の降伏によって戦いが終わり、やっと一息付けるかと思った矢先、降伏から2日後にシュコダの主力工場であってムラダ・ボレスラフ工場が爆撃によって破壊されてしまうという悲劇に見舞われた。そして、戦後、チェコスロヴァキアはいわゆる鉄のカーテンの中、共産圏に組み入れられ、シュコダは国営企業のAXNPとなり、東欧諸国の中で、不自由な環境のなかにもかかわらず自動車生産を活発に手掛けていくことになる。

戦後に生産を再開した際には、ポピュラーの後継モデルとしてまず1100シリーズと、3.1リッターエンジンを搭載したスパーブを手掛け、タトラ社から引き継いだタトラプランの生産に当たった。

第二次大戦後の成功作となったオクタビア(右)と、その派生モデルであるフェリシア。背景からみて、輸出先での撮影だろう。オクタビアは当時、日本にも輸入されたことがある。
フェリシアのカタログ。社会主義国の製品らしからぬ(?)絵柄だ。
シュコダの存在感を示した成功作、リアエンジンモデル

1964年秋にはまったく新しい1000MB(MBとは工場名のムラダ・ボレスラフの意)を発表した。本稿では、あまり登場する機会のない、これらリアエンジンモデルにスポットを当ててファクトリーフォトを使いながら、紹介していくことにしよう。

1100MBは、これは長く使い続けていたバックボーンフレームと決別して、モノコック構造のボディを採用した1000cc直列4気筒のリアエンジン車であった。この時期の欧州では、VWビートルの成功に触発され、ルノーやフィアットがリアエンジンの小型大衆車を生産していたから、シュコダにとって、リアエンジン・レイアウトは当然の選択肢であったといえよう。もちろんリアサスペンションには経験を積んだコイル式のスウィングアクスルの独立式を採用した。西ヨーロッパに比べて経済的に恵まれていなかった東欧では、大型車は公用車などの用途に使われることが一般的で、チェコでも一般大衆へのクルマの普及率は低かったことから、1000MBは東欧各国だけでなく西欧州諸国にも輸出されていった。幸いにしてシュコダは欧州では知られた存在で、戦前にはその品質が高かった事実が人々の脳裏に記憶されており(といっても、範囲は限られていただろうが)、なにより社会主義国の製品ゆえに安価であることが大きな訴求ポイントになった。

1964年秋に登場した新開発のモデルの1000MB。シュコダの主力モデルとなった。1000MBでは、モノコック構造のボディを採用し、リアに4気筒1000ccエンジンを搭載した。この時期、リアエンジンは欧州の小型車では一般的なレイアウトだった。

1966年には2ドアハードトップのボディに強化したエンジンを搭載した1000MBXを追加。1967年秋には排気量を1100cc拡大した1100MBが加わり、1969年にはマイナーチェンジを受けて、それぞれ100と110シリーズに進化した。1970年代にはシュコダのリアエンジンモデルはチェコ製乗用車生産の大半以上を占める、大きな存在になっていた。

1966年に登場した2ドアハードトップのボディのMB1000。エンジンも若干ながらパワーアップされていた。
1100MBの構造図。リアサスペンションはスウィングアクスルの独立型。フロントはダブルウィッシュボーンだ。

さらに、110シリーズの派生モデルとして高性能版の110LSと、クーペボディにそのエンジンを搭載した110Rクーペが加わった。その1107cc4気筒OHVユニットは52PSを発揮。いかにもモータースポーツへの参加意識が高かったシュコダらしく、1000cc以下クラスのモータースポーツへの参加を想定した100Lでは、998ccのOHVエンジンはシングルキャブレターながら42PS/4650rpmを発揮した。さらに100Lをベースに、ダブルチョーク・ウェバーキャブレターを2基備えて73PSにパワーアップし、トランスミッションをクロースレシオとした100Lラリーが造られ、ワークスチームがラリーで活躍した。

1970年にそれまでの1000と1100シリーズが、スタイリングを変更して110/110に進化した。これは1970年に登場した110Rクーペ。確かこのクーペは日本にもあるはず。1980年までに約5万7000台を生産した。
110Rクーペの構造図。こうして線図だけを見ると、フィアット850クーペと似たイメージがある(?)。

1976年のパリサロンでは、リアエンジンレイアウトのままながら、リアサスペンションをセミトレーリング式に改め、エンジンの排気量を1200ccと1050ccに拡大、ボディのスタイリングをイタルデザインに任せて一新した105と120シリーズに発展させた。だが、すでに欧州では、VWゴルフを筆頭に、小型大衆車の標準は完全に前輪駆動(FF)に移行しており、シュコダの旧態化は著しく、もはや欧州では安価であることだけでは市場を掴むことはできなくなっていた。

リアエンジン・レイアウトの小型大衆車は世界的に見れば旧態化していたが、1976年なってもシュコダはこれを守り続け、パリサロンで新型のボディの意匠変更と派排気量の拡大を図って、105と120の新シリーズを発表した。これは105S。さらにフェイスリフトを行って、FWDのフェイヴァリットが登場した以降の1990年まで造られた。

その打開策として、1987年にはまったく新しい横置き前輪駆動車のフェイヴァリットが登場した。1300ccの62psエンジンを搭載し、カロッツェリア・ベルトーネが手掛けたウェッジシェイプのハッチバックボディを備えた。

期待のフェイヴァリットは1988年から販売が始まり、モデルバリエーションを増やしながら市場を広げていった。だが、チェコの政変を経てシュコダが国営企業であることは許されず、紆余曲折のすえ、1991年にVWグループに組み入れられた。シュコダを手に入れたVWは、まず1994年にフェイヴァリットを広範囲に改良し、外観を一新したほか、エンジンもVW製となって、モデル名もフェリシアに改められた。 これ以降、VWによる支配は強まり、VWのコンポーネンツを広範囲に使ったニューモデルを投入し、VWグループの中では安価なレンジを担わせることで成功を収めている。欧州のほかアジアや南米ではポピュラーな存在といわれるが日本市場では、ほぼ知名度が皆無に等しく、輸入販売される可能性は低いだろうが、気になるブランドである。

1987年に登場した横置き前輪駆動車のフェイヴァリットと、近年のオクタビア。
シュコダは1000MBによって国際ラリー選手権に出場した。現代でもワークスチームを組織して、ヒストリックカーイベントに参加している。
110Rクーペから発展した、コンペティション専用モデルである130RSがターマックを行く。130RSは1977年から3年間に65台が造られたにすぎない。
130RSのワークスカーはラリーだけでなく、ロードレースにも参戦した。これはシュコダがヒストリックカーイベントに使っているマシン。
130RSをベースにしたロードレース用のマシン。コース上で空力的な特性を検討しているのだろうか。リアエンジンのレイアウト、巨大なラジエター用のエアインテーク、テールウィングなどから、ポルシェ935を彷彿とさせる。
日本ではあまり知られていないシュコダだが、現在、WRC2カテゴリーでファビアが活躍している。