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COLUMN

ミニチュアカー作家、ヴィンチェンツォ・ボシカの現在VINCENZO BOSICA

1980年代以降、超精密なミニチュアカーの「作家」として世界的に高く評価されていたイタリアのミニチュアカー作家、ヴィンチェツォ・ボシカ氏の過去と現在のストーリーをお届けしよう。

TEXT&PHOTO / 山田剛久, 野口祐子, 羽田 洋(スタジオ撮影)
SPECIAL THANKS / ラクーンオート(http://www.raccoon-auto.com/

ミニチュアカー作家、
ヴィンチェンツォ・ボシカの現在

ヴィンチェンツォ・ボシカに会いにきたんです、と話すと、ボシカ邸の近所でモーターサイクル用の小さなサーキット場を経営しているという中年の男性が、悪戯っぽくニヤリと笑って言った。

「わざわざ日本からボシカに会いに!? ボシカのあの顔つきをよく見てみなよ。あれはマフィア……。マフィア以外の何者でもないんだからね!」

もちろんこれは冗談で、彼自身もボシカの友人なのだけれど、そう言えば以前に雑誌で見たことがある若い頃のボシカの容貌はアル・パチーノみたいな濃い口のハンサムで、どこか謎めいていた。綺麗な顔貌。しかし瞳の奥には狂気に近い何かが宿っている……。

彼は昆虫のように有機的な秘密のミニチュアを創造し続けるマッド・サイエンティスト的アーティスト。しかも、いつまで経ってもそのミニチュアが完成する気配がない……。完成と言う概念すらないのかも……。

Vincenzo Bosica(ヴィンチェツォ・ボシカ/1946年アブルッツォ生まれ)
巨匠カルロ・ブリアンツァとのコラボレーションを経た後、1981年に自身のブランドを立ち上げて精密モデルカーの世界にデビュー。カリスマ的な人気は今も不変ながら現在は引退、実車レストアを楽しむ毎日。
ボシカの人生を決定づけたラヴェルダ。半世紀近くの時を経て稀有なオーラを放つ。

さて、ボシカという人物について簡単に説明しよう。イギリス、フランスを中心とする西ヨーロッパ諸国にはミニチュアカー趣味の長い歴史がある。第二次世界大戦以前の1930年代〜戦後1970年代半ばまでに大量生産されたヨーロッパ製ミニチュアカーは、子供の玩具であると同時に、エンスージァスト達によるコレクター市場も形成した。日本で言えばトミカがそれにあたるだろう。

ところで、そうしたマスプロダクションとは似て非なる異質の深淵もある。ミニチュアカーの“作家”が、極めて限られた台数だけ手作りする“作品”だ。

イギリスのジェラルド・A・ウィングローヴ、スペインのオリーヴ・サンズ。イタリアのミッシェル・コンティやカルロ・ブリアンツァ。彼らは精密なミニチュアカー、或いはモデルカーを手作りする“作家”、すなわちアーティストであった。もちろん高価だから、顧客はお金に糸目をつけない世界中のエンスージァストたち。かのピエール・バルディノンがそうしたミニチュアカーの蒐集家であったことからも理解できるように、それらは絵画や美術工芸品と同じように評価されてきた。そして今回の主役、ヴィンチェンツォ・ボシカも同様にミニチュアカー作家のひとりであり、1980年代〜2000年代にかけて、西ヨーロッパや日本でカリスマ的な人気を誇っていたのだ。

Porsche 356A Coupe ⬛BOSICA 1/43
1983年にボシカ名義でリリースされた第3作目が356クーペ。ボンネット、ドア、フードが開閉、マルチ・マテリアルで質感豊かに細部再現。写真の個体は良きパートナーである名古屋の専門店「ラクーンオート」に送られた特別仕様。
Ferrari 126 C2 ⬛BOSICA 1/43
フェラーリ・パイロットとして高い人気を誇ったジル・ビルニューブ最後の愛機126C2はジルが亡くなった1982年に発売。アッパーカウルが脱着可能で内部ディテールが繊細に再現される。エッチングやプレス部品を初めて自社開発。
Alfa Romeo 6C 1750 GS 1929 ⬛BOSICA 1/43
1981年にボシカ名義で発売された最初のモデルがアルファロメオ6C 1750。殆どメタルパーツで構成されるが、0.5mmのピアノ線を使う等して巧みに開閉機構を作り上げている。車種選択はヌボラーリへの憧憬から。市販車仕様もある。
Ferrari 375MM ⬛BOSICA 1/43
アルファ1750に続いて1982年に発売されたのがフェラーリ375MM。キット開発はアルファよりも先行していたらしい。ボンネットとドア開閉。車種選択はドライバーだったマリオ・リッチへの想いから。ゼッケン違いあり。

2005年頃に引退が噂されて以降、彼の名前を目にする機会はめっきり減ったが、どうやら元気でやっているらしい。そんなわけで今こそ謎めいたカリスマ、ボシカに会ってみたいと思い、ミラノ在住の野口祐子さんを頼ってイタリア珍道中へと繰り出す。

ミラノから南へ約50km、パヴィア県にある小さな町の一角にある彼の家は、一見どこにでもある田舎の一戸建て住宅のように見えたが、中に入るとボシカ・ワールドが広がっていた。野口さんと彼は15年ぶりの再会、私は初対面。

陽に焼けた肌には艶があり、目には光があり、声には張りがある。1946年生まれの72才とは思えない若さ。ポンポンと弾むように会話が進み、話をしながら素早く何かを探しに行ってしまうパワフルな動きはまるで子供のようだ。

工房には1世紀前の木製のオリーブ破砕機やワインの樽、流木、農耕機具、古いビーカーや鍵、工具類、教会の鐘楼時計の機械部分、荷車の車輪、19世紀の『文化論』の書籍などが雑然と置かれ、まさしくマッド・サイエンティストの研究室。ここにはボシカの好奇心のアンテナが選りすぐった“人類の創造物”のみがある。興味が湧いた対象は自分の手で感じ、いつどこでなぜ生まれたのか、どのように作られたのかを学びたいのだと言う。“好奇心”の塊だ。

ボシカは1946年、ローマの対東にあるアブルッツォ州の農家に生まれた。見渡す限り荒野に囲まれた貧しい村。男性は海外へ出稼ぎに行くのが当たり前で、ボシカの祖父もそんなひとりだった。1902年にアメリカのフィラデルフィアへ行き、7年間鉄道工事に従事。また当時、物資運搬や農作業に必要不可欠だった荷車作りのノウハウも取得、イタリアに戻り農業を営みながら荷車を作り続けていたという。ボシカはそんな祖父の手伝いを通じて、もの作りに対する感覚を育んでいったのだ。やがて絵画に興味を持ったボシカは美術の専門学校に進み、地場産業として世界的にも有名だった陶器の工房で職人として働きだした。そんな時、友人から「ミラノの近くに良い仕事がある」という話を耳にする。当時ボシカは夢を抱く23歳、後に妻になるフランチェスカを連れて新しい世界へと飛び立った。

少しの荷物と僅かなお金を持って始まったパヴィアでの生活。陶器工場の職人としての暮らしだ。そして余暇には趣味で船の模型作りを始めた。友人からミラノの模型ショップの話を聞き、船の模型の部品を探しに行った。その時に息子用にと友人から頼まれたラヴェルダ(プロター製1/9スケール・モーターサイクル)のキットを購入。ところがその息子ひとりでは上手く作業が進まない。そこで器用なボシカは1日1時間、仕事の後に模型作りに協力することになった。そうしてラヴェルダを作っている内に、ボシカはもっと精密で完成度の高い作品を作りたくなってしまい、結局延べ3000時間を掛けて完成したのが、自作の金属製部品等を組み込んで仕上げた『ボシカ製ラヴェルダ』。1974年、彼が28歳の時だった。このラヴェルダが彼の人生の羅針盤を大きく変えることになるのである。

ボシカは完成した自慢のラヴェルダをトリノで開催されていた模型マニアのフェアに持ち込んだ。そこで彼はモデルカー世界の大御所、カルロ・ブリアンツァの目に留まることになる。そして数年後の1981年、彼は自分のブランドを起こして自作のミニチュアカーを世に問おうと決心したのだった。

356クーペのボディは近年新規制作、スピードスターの部品と併せて356GS仕様、ボシカ最後のキットとして発売された。ブルーの356はGSクーペのキットを組んだもの。
356スピードスターのボディは薄く軽い“エレクトロ・フォーミング(電鋳)”と呼ばれる製法で制作されている。シャシー、ドア、フード等は真鍮プレス。
フェラーリ156/85Bは1987年暮れに制作され、翌年エンツォに進呈されるはずだったが、逝去によって叶わなかった。
こちらはフェラーリ126C2の、小指の先ほどのサイズのエンジン。

ブリアンツァらの巨匠が1/15や1/12等のビッグ・スケールに拘ったのに対して、ボシカはヨーロッパや日本で最もポピュラーな縮尺である1/43スケールを選び、1981年に自己名義の最初の作品『アルファロメオ6C 1750 GS 1929』を発表、その精密さは世界中のモデルカー愛好家に大きな衝撃を与えることになる。ドア、エンジン・フード、トランクが開閉し、エンジンやコックピットは異常なまでに作り込まれていた。それは正に芸術作品! ボシカの噂は瞬く間に広がり、彼の作品は富裕な1/43ミニチュアカー蒐集家の間で垂涎の存在となった。この好評に力を得たボシカは、80年代を通して次々と傑作を産んで行った。

しかし1990年代に入ると寡作に。これは次作として発表されていたポルシェ356スピードスターの開発難航が原因。名古屋のモデルカー専門店『ラクーンオート』の尽力で漸く発売に漕ぎ着けたのは、発表から実に20年を経た2000年代初頭の事であった。そしてその頃に引退の噂が伝わってきた。

さて、現在のボシカはどんな生活を送っているのだろうか? なんと驚くなかれ、現在の彼が懸命に取り組んでいるのは、実車のレストアだと言う。1992年式アルファロメオ・スパイダーを3年かけて仕上げ、最近1973年式ランチア・フルヴィア・クーペのレストアを始めた。ボシカが手懸ける実車レストアは、一見して彼が模型と同じレベルを目指していると解るものだった。ユニークな挽きものや、ドアとボディのチリには、彼の信念が見え隠れする。フルヴィアはもう1台あり、2台目が終わったらそれに取り掛かるという。これら3台のクルマはおじいちゃんから3人の孫へのプレゼント。世界中のボシカ・ファンにとっては究極の高嶺の花、憧れのクルマになることだろう。

ミニチュアカー作家を引退した現在のボシカは、孫の為に実車レストアに精を出す。1992年式のスパイダーだが、ドアのチリが異様に整っている事にご注目を。
エンジン・ルームも非常に綺麗な状態。ドア・キャッチやシフトノブなどには自作のアルミ挽きものを使用、三角窓にはボシカ・エンブレムの意匠が付く。
スパイダーの次に現在レストア進行中の1973年式ランチア・フルヴィア・クーペ。ドアやボンネットもアルミで新造している。緻密で完璧と思える完成度の中に「魂」が感じられる、「“ほっと息がつける”何かが欲しい」、とボシカは言う。
ボシカ邸には広いバックヤードがある。静かな田舎町のなんとも羨ましい環境。
模型の制作に使用していた古い立体彫刻機などは既に処分してしまったようだが、詳細不明の古木や農耕器具、工具などが置かれている工房の一角。古い書籍やガラス器具の存在感も相俟って、妖しさ満点。如何にもボシカらしい。