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世界初の量産四輪駆動乗用車・くろがね四起KUROGANE 4WD(TYPE 95)

ジープの生まれる6年も前に誕生した世界初の量産四輪駆動乗用車、くろがね四起が有志の手によって21世紀に蘇った。

TEXT&PHOTO / 長尾 循
SPECIAL THANKS / NPO法人 防衛技術博物館を創る会(http://www.tank-museum-japan.com

世界初の量産四輪駆動乗用車・くろがね四起

欧米に比べモータリゼーションの進展が一足出遅れたとはいえ、大正から昭和にかけての戦前の日本に於いてもダットサンやオオタ、トヨタなどのメーカーが、それぞれ独自の国産乗用車を世に送り出していた。しかし1931年(昭和6年)の満州事変を境に日本は軍国主義国家への道をひた走り、様々な統制がひかれた自動車産業界に於いても、民生品の生産優先順位は次第に後回しにされる。

1917年(大正6年)に自動車技術者・蒔田鉄司が設立した個人工場をルーツに持つ日本内燃機は、1930年代には『くろがね』ブランドのオート三輪メーカーとして名を馳せ、この分野では東洋工業(現・マツダ)、ダイハツと並ぶ存在であったが、やはりその開発や生産のリソースは軍需優先を余儀なくされつつあった。そんな中、軍の要請によって1935年(昭和10年)に造られたのが『くろがね四起』である。これは前線での連絡や偵察などに使う小型車で、その名の通り四輪起動(=駆動)車。シンプルな空冷エンジンと18インチの大径タイヤにより、高い機動力を誇った。

特筆すべきは、このクルマが“世界初の量産4輪駆動乗用車”と言うことであろう。軍の要請で造られた小型の4輪駆動車と言えば、まず米軍のジープが思い起こされるが、このくろがね四起が生まれたのは、ジープの生まれる6年前のこと。以後、1944年までの間に各形式あわせて4800台近くが作られたくろがね四起だが、その多くは戦場で失われ、現存するものは世界にも数台のみと言われる。

かつてくろがねのディーラーだった京都市内の工場倉庫の片隅に、長らく保管されていたくろがね四起の前期型。発掘当初はご覧のようなコンディション。

そんなくろがね四起が、このたび関係者の熱意によって蘇った。御殿場市のNPO法人『防衛技術博物館を創る会』(小林雅彦代表理事)が、京都市内の自動車修理会社で長年保管されていた現車を引き取り、復元プロジェクトを立ち上げたのが2014年のこと。レストアの資金はインターネットで出資者を募る『クラウドファンディング』を通じ、全国の有志から調達、以来、2年の歳月をかけてレストアを完成させたのである。

多くのクルマ好きにとって、どうしても興味の対象はモータリゼーションの進んだ戦後の車種に偏りがちで、戦前の国産車、特に軍用として生み出された車両は自動車雑誌で紹介される機会も少ないが、やはり国産車の技術的な通過点のひとつとして、このようなクルマを長く後世に伝えて行くことは、必要不可欠であろう。レストアを完遂した関係者の熱意に敬意を表したい。

レストアが完了し、報道陣の前で軽快な走りを見せるくろがね四起。短い全長と大径のホイールによる独特のプロポーション。

10年近くの期間生産されたくろがね四起だが、これは1938〜39年生産の前期型。シートは2+1の3シーター。シートアレンジやグリルの形状違い、ピックアップなど、いつくものバリエーションが存在した。軍の正式名称は九五式小型乗用車で、これは採用された年(皇紀2595年)の下二桁からの命名。
エンジンは33HP/3300r.p.m.を発生する1.3リッターの空冷OHV・Vツイン。室内には2WD→4WD切り替えレバーが備わる。梯子型フレームにフロントがダブルウィッシュボーン+コイル、リアはリジッド+1/2リーフの足廻り。全長×全幅×全高はそれぞれ3550×1250×1500mm。

NPO法人『防衛技術博物館を創る会』の小林雅彦代表理事(右)と、作業に関わったスタッフのみなさん。レストアにあたっては、当時を知る関係者を探す一方で、現存する他の車両を取材に、遠路はるばるロシアにまで訪れたという。