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モンテカルロに 参戦したダットサン240Z240Z @RALLY MONTE-CARLO HISTORIQUE

毎年2月、WRC『ラリー・モンテカルロ』の翌週に開催される『ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク』は、WRC本戦やF1モナコGPと同じくモナコ王立自動車クラブが自ら開催するリバイバル・ラリーイベント。この伝統のラリーに、わが国から参戦したダットサン240Zと、そのドライバーの夢の足跡を追った。

TEXT / 武田公実 PHOTO / 山本佳吾

モンテカルロ参戦したダットサン240Z

麗しの240Z、半世紀の時を越え
モンテカルロでかく戦えり

わが国のヒストリックカーファンにとって“モンテカルロ・ラリー”という言葉から連想されるエピソードのひとつに、1972年、ラウノ・アルトーネン/ジャン・トッド組の乗る日産ワークス・ダットサン240Z(S30型フェアレディ240Z)が果たした3位入賞が挙げられるのは間違いないところだろう。この値千金の出来事を再現すべく、現代のリバイバル版『ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク』においても、これまで日本人エントラントがモンテ・レプリカの240Zを仕立てて参戦する事例はあったのだが、またひとり”240Z×モンテ”の夢を実現したエンスージアストが誕生した。『伊香保おもちゃと人形自動車博物館』館長、横田正弘氏である。

今や日本を代表するヒストリックカー愛好家のひとりに列される傍ら、2017年の『ラ・フェスタ・ミッレミリア』では初優勝も果たすなど、旧車によるレギュラリティ・ラン(タイムラリー)の分野では国内屈指のコンテンダーと目されている横田館長だが、実は少年時代からの熱心なフェアレディZファン。特に今を去ること約50年前、1972年モンテカルロ・ラリーにおける活躍は、彼ののちの人生に大きな影響を与えることになった。

1972年のモンテカルロ・ラリー終了後、日本に帰国した240Zは全国の日産ディーラーの巡回展示に供されたそうなのだが、その展示場所の中には横田少年の地元、群馬・前橋も含まれていた。そして、凱旋展示された240Zを見て強い憧れを抱いた彼は、見習い大工として働きつつ一所懸命に貯金して、なんとか中古のフェアレディZを購入。後輪駆動でロングノーズのZでは不利とされていたダートトライアル競技などで孤軍奮闘したのも、ひとえにZへの熱き想いゆえであった。そして、努力の末に超一流のエンスージアストとなった館長が新たに抱いた夢こそ、自ら240Zを駆って『ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク』に参戦し、再び前橋の商店街に凱旋するというものだったのだ。

『伊香保おもちゃと人形 自動車博物館』を創り上げた館長にして、長らく『スプレンドーレ榛名』に代表される国内屈指のタイムラリー・イベントを主宰してきた横田館長。またご自身も日本版や本国のミッレミリアなど国内外のイベントで輝かしい戦果を挙げるが、どうやら今回の参戦でラリー・モンテカルロ・ヒストリークの魅力にすっかりハマってしまったようだ。

そんな横田館長の夢は、周囲を大きく動かすことになる。彼の240Zは、2015年の北米『グレートレース』でも完走した車両を”モンテ仕様”へとモディファイしたものだが、その製作に際しては日本最高の日産旧車オーソリティ『日産名車再生クラブ』のメンバーたちの協力を得て、座間の日産ヘリテージコレクションでも徹底的なリサーチを敢行。当時の日産ワークスチームのカラーリングやロゴを忠実に再現した上に、貴重な当時モノの純正パーツも確保することができた。

また、参戦表明から約半年後には、『前橋クラシックカーフェスティバル』や『伊香保おもちゃと人形 自動車博物館:前橋別館』などをともに成功させ、今や横田館長にとって盟友とも言うべき存在となった前橋市の山本龍市長と、同じく前橋市の市議会議員である新井美加氏が発起人となり、市内のホテルを会場に大々的な壮行パーティまで開かれたのである。

想像を遥かに超える過酷なイベント

そして迎えた2018年1月末。横田館長とダットサン240Zは、自らスタート地として選んだフランス北部の地方都市、シャンパーニュの名産地で、かつてはF1フランスGP開催地としても知られたランスに到来した。『ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク』の最大の特徴は、世界ラリー選手権(WRC)のオリジナル版『モンテカルロ・ラリー(現ラリー・モンテカルロ』では1995年を最後に廃止されてしまった超長距離リエゾン『パルクール・デ・コンサントラシオン』が設定されていること。それぞれ1000km以上も離れた欧州各都市からモンテカルロに参集する様は、往年のモンテカルロ・ラリーでは象徴的なものとして知られていた。

一方、現代版『ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク』においても、横田館長が選択した仏ランスやスペインのバルセロナなど、走行距離にして1000kmに満たない“近場”だけではなく、ノルウェーのオスロ、スコットランドのグラスゴーなど2000kmを超えるような遠隔地までもが出発地として指定。それぞれの都市からスタートした、総計300台以上にも及ぶヒストリック・ラリーマシンと、それらに搭乗するドライバー/コドライバーたちは、まず現行のWRC戦およびフランス国内選手権の中継地にもなっているという南仏内陸部のヴァランスに集結する。

その後はヴァランスを拠点に三日間、一部は雪にも見舞われた厳しいコースを舞台とした15ステージもの“ZR(厳格な速度指定のあるSS)”を走り抜いたのち、モンテカルロに暫定ゴール。さらにその数時間後には、再びナイトステージに臨み、翌朝未明にモンテカルロの最終ゴールに到着。通算走行距離は、ランスなどの短めのコンサントラシオンを選んでも、あるいはモナコからスタートするルートを選んでも3200km以上に及ぶ、極めて壮大かつ過酷なラリーなのだ。

2月1日に無事車検をパスした横田館長は、翌2日の夜8時、ランス市役所前に設営された大型ゲートから、豪雨をものともせず詰めかけた満場の観衆の喝采と歓声を受けつつスタート。ほかのコンサントラシオン出発点に比べれば若干短めのコースとはいえ、距離にして807kmも離れたヴァランスまで、約20時間かけて不眠不休で走り切った。

そして翌日からは、場所によっては深い雪にも覆われたローヌ・アルプ地方の険しい山岳ルートを三日間ひたすら走り、2月7日の夕刻にモナコ公国モンテカルロのパルクフェルメ(F1モナコGPではパドックとなる港に面した広場)に到着。さらにその後もほとんど休む間もなく、有名なチュリニ峠を含むナイトステージの最終ZRに向けて再スタートしたのち、実は電気系のマイナートラブルに見舞われつつも、ついにモンテカルロに感動のゴールを果たすことになった。

日本のラ・フェスタ・ミッレミリアにおけるディフェンディング・チャンピオンにして、イタリア本国のミッレミリアでも初出場で総合17位に入賞した横田館長とはいえ、イベントのタイプのまったく異なる『ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク』では、レギュレーションの違いに苦しめられたというが、それでも終わってみれば見事に完走。少年時代から長らく憧れてきた“モンテカルロと240Z”の夢を、自ら実現したのである。

少年時代から温め続けてきた夢は、誰にもあることだろう。しかし、それを実現するというのは決して容易いことではあるまい。横田正弘館長が『ラリー・モンテカルロ・ヒストリーク』を完全モンテ仕様にモディファイしたダットサン240Zとともに完走を遂げたのは、自動車への想いを同じくする者にとっては計り知れない偉業とも言えるだろう。

今回、数多い館長の友人を代表してランスからモンテカルロまで随行させていただいた筆者も、この感動を共有するとともに、彼の偉業を心から誇りに思っているのである。

PHOTO GALLERY

期間は約一週間、走行距離にして3200km以上にも及ぶハードなラリーを走り抜いた横田館長と愛車ダットサン240Z。ヒストリックカー・ラリーの世界最高峰とはいえ、オリジナルのモンテカルロ・ラリー参加車両をここまで忠実に再現したマシンはほとんどなく、スタートやゴール、サービスポイントなどギャラリーの集まるポイントでは、常に人だかりができるほどの人気を博していた。

TOPICS

モンテカルロの240Z

“デフの上にエンジンがあるクルマが有利”といわれた雪と氷のモンテカルロ。そんな中、サファリで鍛え上げたタフネスとスピードで欧州勢に果敢に挑んだ240Z。当時のクルマ好きは、そんなワークス・ダットサンに惜しみない声援を送った。

BMCワークスが活躍した“ミニ黄金時代”を経て、1970年代を迎えたモンテカルロ・ラリーはポルシェ911、アルピーヌA110、ランチア・フルビアなどのスポーツ/GTカーによる、より高速域での戦いへと変貌を遂げていた。そんな時代に日産ワークスが投入したラリー・マシーンが240Zである。

1958年にオーストラリアで開催された『モービルガス・トライアル』にダットサン210で参戦したのが、日産の海外ラリー活動の始まり。以来歴代のダットサンたちはそのタフネスさを武器に、サファリ・ラリーを主戦場として実績を積み重ねて来た。1970年のRACラリーに登場した240Z(このデビュー戦では7位)は、翌年から“ホーム・グラウンド”とも言えるサファリで圧倒的な強さを見せ、1971年と1973年に総合優勝を遂げている。

広大なサファリとは異なり、アルプスのタイトなコースがステージとなるモンテでは、コンパクトな前輪駆動車や、ミッドシップ、リアエンジン車が有利とされる。長いフロント・ノーズに直6を搭載した240Zは、それでも初参戦となる1971年には10位で完走、翌1972年には総合3位という結果を残している。“Zカー”は欧州に於いても、歴史的なスポーツカーとしてその名を刻んだのである。