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自動車技術&文化史探訪

それもまたアメリカ人の生活に密着したツールステーションワゴンの世界

この連載で、ピックアップトラックはアメリカの“ソウルカー”だと記した。今回はその続編として、もうひとつのソウルカーであるステーションにスポットを当て、日本の事情なども織り交ぜて話を進めることにした。

TEXT / 伊東和彦

それもまたアメリカ人の生活に密着したツール

1959年マーキュリー・カントリー・クルーザー・コロニーパーク。アメリカのフルサイズワゴンは3列シートを備えることが多かった。子供の専用席になることが多かったが、ここはクルマ酔いしやすいのが難点。(Ford Motor Archives)
ステーションワゴンはミニバンやSUVが台頭するまで
家族にとって万能なファミリーカーであった

ピックアップトラックの回(https://themotorbrothers.com/others/13870)では、ピックアップトラックは荷物を運ぶ手段として登場しながら、次第に乗用車の便利な派生型として成長、増殖していったことを述べた。だが、遙か太平洋を挟んだ日本ではそうした関係に気づきにくかったから、1970年代、なぜ、ピックアップトラックがあれほど売れるのか、輸出のために港に並んだピックアップトラックの大群を見て、私は北米を旅するまでずっと不可解であった。

1980年代に入ってからアメリカを旅して、彼の地の人々と、“ソウルカー”であるピックアップトラックの多岐にわたる使われ方を目にし、そこに道具として生活に溶け込んだ親密度が見てとれ、妙に納得した覚えがある。私自身もその旅では、荷台に後ろ向きのシートを備えた、真っ赤なダットサン・トラックを使った。

話を進める前に、スターションワゴンとはなにかを定義づけておくことにしよう。それは見てのとおり、セダンの後方に荷室を備えたクルマだ。同様の形態のものに商用バンがあるが、最も大きな相違点は、ステーションワゴンには後席も乗用車並の快適性が確保されていることだ。商用バンは荷室としての使用に重きを置いてあり、簡素かつ、クルマによっては座席もミニマムなものが多い。日本では車検や荷室要件などいろいろと制約があるが、ここでは省略したい。

自動車のボディ呼称の起源が馬車にあることは再三記してきたが、ステーションワゴンもまたそうだ。“ステーションワゴン”の語源を調べてみると、列車で駅(station)に到着した人々を運ぶ移動手段(wagon)の呼称であったことが分かる。大きな荷物を携えて鉄道で長旅をしてきた旅客を、駅から自宅や訪問先まで運ぶという、個人やその家族など小さな単位の移動を担っていた。最初はトラック(荷馬車)に耐候機能を備えた荷室を設けたもので、居住空間は時代ともに快適になっていった。幌馬車のことではないかと思われがちだが、米国人の訳知りによればそうではないという。フランスではブレーク、英国ではエステートと呼ばれることが多い。

話を元に戻すと、クルマの場合では、ラダーフレームに木骨構造のボディを持っている場合が一般的であったから、トラックに木骨製のクローズド型の荷台を載せたものが起点(原点)である。剥き出しの木骨は、その後、ボディが全鋼板製になってしまっても、ステーションワゴンに欠かせない装飾品(アクセサリー)となって、長く備えられることになり、““ウッディー”の名で親しまれたことはご存知だと思う。

アメリカ車の歴史をひもとくと、必ずといっていいほど、フォード・モデルTに行き着く。これはモデルTをベースにした“ステーションワゴン”仕様。(Ford Motor Archives)
1941年クライスラー・タウン・アンド・カントリー。まさに“ウッディー”の趣を持つデザインと、その名称はクライスラーによって引き継がれた。列車の駅ではなく空港に旅客を送り届けたステーションワゴンといったところか。(Chrysler Archives)
1954年フォード・カントリー・スクワイア。ウッドトリムはワゴンにとって欠かせないアクセサリーとなっていった。(Ford Motor Archives)
1959年フォード・カントリー・スクワイアの派手なデモ写真。ルーフのテントはボタンひとつで“開花する”とか。これと後出の3人の子供が乗ったマーキュリーの広告写真は、いかにもアメリカのワゴンライフを示すものではなかろうか。(Ford Motor Archives)
1968年フォードLTDカントリー・スクワイア・ステーション・ワゴン。カントリー・スクワイアとしては6世代目(1968〜78年)。ホイールベース:3072mm、全長:5733mmにも達するフルサイズで、オプションで7.5リッターが搭載できた。まだ、アメリカ車が安全や燃費対策に翻弄される以前の、大らかさを備えていた最高気のモデルといえよう。これぞアメリカン・ステーションワゴンという堂々とした体躯とスタイリングは魅力的だ。(Ford Motor Archives)

ステーションワゴンはこの日本でも少なからぬ需要を掴んでいた時期があり、1960年代にさかんに放送されていたアメリカのテレビドラマなどにも登場していたから、その使われ方を理解することはむずかしくはなかった。さらに日本車でも、上級車のセドリックやクラウン、マークⅡやスカイラインなステーションワゴン仕様が存在していたので比較的、身近な存在であった。

日本の自動車市場が成熟して時期の1991年1月に、米国オハイオ州のHAM(ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチュアリング)で生産されたアコード・ワゴンの輸入販売が始まると、ぐっとステーションワゴンの世界が広がったかに思える。アコード・ワゴンは、さすがステーションワゴンの本場で開発されたモデルらしい“異国情緒”を感じさせ、また商用車から派生したモデルでなことが顧客からの共感を呼び、大きなヒットとなった。また、“逆輸入車”という言葉が定着したのも、アコード・ワゴンの成功が転機であったように記憶している。トヨタもまた、1992年夏からアメリカ工場で生産したセプター・ステーションワゴンを輸入販売した。どちらも“商用車に見えない、ワゴン専用車であること”が、日本でのヒットの要因であった。

1991年1月に発売された、ホンダの米国オハイオ州工場製アコード・ワゴンは、ワゴンの本場製らしく、日本のそれにはない“商用車に見えないワゴン”として好評を博した。(本田技研工業)
日本車ではトヨタのクラウンが長いあいだワゴンボディをラインナップに加えていた。これはその起点になる1959年トヨペット・クラウン・ステーション・ワゴンの北米向け仕様車。(トヨタ自動車)

現在ではミニバンやSUVにその座を奪われてしまっているが、それでもなお、輸入車に目を転じれば、ステーションワゴンがその市場に確固たるニーズを掴んでいることが分かる。輸入車のミニバンも数を増やしつつあるが、日本車が手薄な(選択肢がほとんどない)ステーションワゴンに関しては輸入車の独壇場に見える。メルセデスC、BクラスやAクラス、BMW3シリーズ、ボルボ、VWゴルフ、ミニ、プジョーなどなど、枚挙に暇がない。アルファロメオ156などはスポーツサルーンの範疇だが、そのワゴン仕様の姿も街で見かけることは少なくなかった。アメリカ車は日本で売れないとデトロイター各社はお嘆きだが、ステーションワゴンならそれなりのシェアを掴むことがきるのではあるまいか。もっとも米国車のワゴンも絶滅危惧種になりつつあるのだが。

ここからは、ピックアップトラックの回のように、あまり“重い話”にならぬように話を進めて行きたいと思う。

こうして書き始めてみると、私がクルマに興味を抱き始めた少年期(昭和30年代後半を想定していただきたい)、街には、ライトバンやステーションワゴンらしきものの姿が少なくなかった。乗用車はタクシーかハイヤー、いかにも社用・公用車だらけで、商用車が圧倒的だった。「まだ、庶民にとって自家用車が遠い存在であった時代、クルマを持つことができるのは、一部の限られた人たちであった……」、とは専門誌の常套句だが、それは紛れもない事実であることは子供ながらによく理解していた。

私の周囲にあった数少ない自家用のクルマは、週日は仕事のツールであり、たまの休日に家族のために使われるという姿が一般的だった。仕事の都合上、ピックアップトラックでなければ都合が悪い業種を除けば(ピックアップでもダブル・キャビンという選択肢もあった)、商用バンのライトバンが有効な選択肢だった。

ある日、私は、自営業を営む親しい友人の家で日産セドリックのワゴンを、そう活用している姿に出くわした。日常は仕事に使っているのだが、休日には車内から一切の“仕事の痕跡”が消え、家族の共通の趣味である釣り竿や弁当が入っているであろう、大きな籐篭(現在ならバスケットというのだろうが)が積まれ、出発を待つばかりだった。それを目の当たりにして、クルマがあることの豊かな生活を想像させ、とても羨ましく思えた記憶がある。その当時は、一般の人々にとっては、商用バンとステーションワゴンの区別はないに等しく、ナンバープレートで判断するくらいしか判別の方法はなかった。

そのころ、神奈川県に多かった米軍人や軍属が住む治外法権の住宅地では、フェンス越しに、白い住宅と緑の芝が敷き詰められた住宅の前にパークする、巨大なステーションワゴンに目を奪われた記憶がある。それはブラウン管のなかで繰り広げられている、豊かで楽しげなアメリカ人の象徴のように思えた。“白っぽい色の”巨大なステーションワゴンには、目が眩むような“余裕ある生活”を感じさせた。周囲のクルマは皆、小さなドブネズミみたいな色だったからだ。この稿を書きながらそうした情景を脳裏から引き出してみると、こうした光景が私自身だけでなく、同世代のステーションワゴンへの憧れの根底にあるのではないかと思う。

トヨタ・クラウン・カスタム。4世代目クラウン(1971〜74年)のワゴン・モデル。ワゴンのことをカスタムと名付けた。スピンドルシェイプには、このワゴンボディが最も似合っていたと思う。(トヨタ自動車)
クラウンには長いあいたワゴン・モデルが用意され、存在感を示していた。これは1999〜2007年まで生産された11世代目、クラウンエステート。これを以てクラウンのワゴンボディは終了した。(トヨタ自動車)
3世代目コロナには商用車仕様のバンが存在したが、ワゴンとしての需要はこの“ファイブドア”に受け持たせた。これはコロナのカタログから。生まれた時期が早すぎ、当時の日本市場はこれを受け入れることはできなかった。(トヨタ自動車)
初代コロナ・マークIIステーションワゴンの北米仕様。赤い塗色だからか、国内市場用より格好よく見える。このあたりから、日本車の北米市場での快進撃が始まる。マークIIはこのあとクレシーダと呼ばれるようになる。(トヨタ自動車)
日産セドリックも初代からワゴンボディが存在した。これはピニンファリーナが関わったとされる2世代目(1965〜71年)。セダンも美しかったが、ワゴンも綺麗な形だった。(日産自動車)
5世代目(1979〜83年)セドリックのステーションワゴン。サイドに大きくウッドトリムを貼り付けた姿はアメリカン・ワゴンのようだ。(日産自動車)
サニー・カリフォルニア(1979〜81年)。大衆車のサニーにもワゴンボディが登場した。小さなサイズながらウッドトリムを貼り付けて、アメリカン・ワゴンのテイストを装った。(日産自動車)

アメリカの古参モータージャナリストでクルマのヒストリーに詳しいジョン・ラムは、以前、ステーションワゴンについて回想したエッセイの中で、「55歳以上の平均的なアメリカ人にとっては、ステーションワゴンとの生活が脳裏に残っているはず……」そんな事を記していた。ステーションワゴンの本場であるかのようなアメリカでも、現在はそのシェアはSUVやCUVに取って代われているので、ステーションワゴンの恩恵を受けていたのは、せいぜい55歳以上だというわけだ。

1970年代初頭の石油危機を転機に、アメリカ車は小型化の道を辿ることになる。今回は、アメリカにおけるステーションワゴンの販売状況を知る資料を入手することはできなかったが、前出のジョン・ラムによれば、燃費削減のためのダウンサイジングが進んでいた1976年でも、アメリカの市場で10%の販売シェアを持っていたという。そのステーションワゴンのシェアを脅かしたのは、1984年にクライスラーが投入したミニバンだった。人々は小型化によって魅力を失いつつあったステーションワゴンから、多用途さがセールスポイントのミニバンに心を移していった。

ポルシェさえパナメーラにワゴンボディを新設する時代だ。もしかすると、また、近い将来ステーションワゴンの世界が広がるのかもしれない。

1995年シボレー・カプリス・ステーションワゴン。丸みを帯びたスタイリング。ワゴン・ボディがよく似合った。(GM Archives)
1983年に起死回生を図るクライスラーが投入した“ミニバン”の大成功が、現在のミニバン隆盛の起点になった。ミニバンにもウッドトリムを着けるところがアメリカらしい。(Chrysler Archives)
現代のアメリカン・ワゴン。2018年ビュイック・リーガル・ツアーX。クロスカントリー・モデル風にクリアランスを高めに設定しているようだ。いまや米国車でもステーションワゴンはごく少数派だ。(GM Archives)