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COLUMN

アルファロメオは、イタリア人の心の故郷LIFE WITH ALFA ROMEO

イタリア人にとってアルファロメオが愛すべき対象であることは、容易に想像ができる。しかし"生まれついてのアルフィスタ"と聞いて、日本人がその意味を肌感覚で理解することは、ちょっと難しいかもしれない。イタリア・トリノに約10年住み、現在は南仏在住の松本葉氏がイタリア人のアルファロメオ愛を探る。

TEXT / 松本 葉
SPECIAL THANKS / FCAジャパン(https://www.fcagroup.jp

アルファロメオは、イタリア人の心の故郷

30年以上前のことになるが、初めてミッレミリアを見に行ったとき、私はフェラーリを応援するつもりで出かけた。フェラリストだったわけではない。初めてのイタリア訪問だったこともあり、この国の由緒ある公道レースで国民の皆さんと共に喜びを分かち合いたい、こう考えたからだった。つまりこの時の私はフェラーリこそイタリアの誇り、熱狂を集めるマシンだと思っていたのである。

確かにそれは凄まじいものだった。フェラーリがフタ峠で轟音を響かせながら近づいてきた時の彼らの声援が今も耳に残る。それまで路肩に置いた折り畳み式の椅子に座ってスポーツ新聞を読んでいた男性も、編み物をしていた女性も(新聞も編み棒も放り投げて)歓声を上げるのである。手を叩く音と「ブラボー」という叫び声が山間にこだまして圧倒された。

しかし、である。彼らがフェラーリより興奮するのはアルファロメオが通過したとき。さらに強い拍手とさらに高いトーンの叫び声が湧き上がり、そこに千切れんばかりの手振りが加わるのだ、まるでドライバーの知り合いか親戚みたいに。フェラーリが視界から消えると彼らはまるで何もなかったかのように再び新聞に顔を埋め、編み針を動かしたが、アルファは違う。赤い車体が点になるまで背伸びして姿を追い、道端に舞い上がる砂埃を吸い上げ、去ってしまっても余韻が惜しくて座るに座れない、そんな様子で中腰を続けるのである。この時、思ったものだった。えっ、イタリア人が愛するのはフェラーリじゃなくてアルファロメオなの? 以来、アルファロメオとはイタリア人にとってどんな存在なのだろうかと考えてきた。

生まれついてはどんな人?

アルフィスタ、という呼び方がある。アルファ好き、ファン、フリークのような意味だが、特徴的なのはアルフィスタのみ”生まれついての”という枕詞が付くこと。イタリア語で”アルフィスタ・ダラ・ナッシタ”と言う。同じファンでもフェラリスタにこの枕詞は付かない。アルファ好きだけに許された特権である。

ちなみにランチア・ファンはランチスタと呼ぶが、これはあくまで対抗的意味合いで使われる。「あなた、アルフィスタ?」と聞かれたとき、「とんでもない、僕はランチア・ファンなんだよ」、こんなニュアンスを込めるために使うのだ。

では”アルフィスタ”と”生まれついてのアルフィスタ”の違いはどこにあるのか。生まれついての、と付ける人は昨日や今日、アルファ・ファンになったわけではない、年季が入っているんだぜ、そこを強調しているのだろうか。いや、アルファはミラノのシンボルだ。自分はミラノ人、江戸っ子のごとく、生粋を示しているようにも感じられる。うーん、ムツカシイ。

この疑問に手を差し伸べてくれたのはルカ・ダル・モンテという作家。エンツォ・フェラーリの生涯を綴った処女作『REX』はニューヨークタイムスの書評で”決定版”と絶賛された傑作。この彼の最新作が『la congiura degli innocenti』(無実の謀反)。ブラバムがアルファロメオのエンジンを搭載してF1に挑んだ時代のストーリーだ。4年間、アルファロメオ・ミュージアムの資料室に通い詰めてこれまで表に出なかった秘話を掘り出した。

語り継がれて育つ

「生まれついての、という言葉がアルフィスタにだけ使われる最大の理由は、アルフィスタは”なる”、すなわち後天的なものではなく、先天的なもの。(アルフィスタとして)育った人がいて、そういう人はアルファ・ファンにしかいないからですね」

アルフィスタはアルファロメオという自動車がどれほどの技術をもち、レースでどれほどの活躍をしたか、それがどれほどイタリア人の喜びであったか、親から子へ、語り継ぐのだという。こういう形で育てられた人のことを”生まれついてのアルフィスタ”というらしい。代々続く筋金入りが存在するのはもちろん長い歴史ゆえのこと。ここで私は「フェラリスタは違うんですか?」と口を滑らせ作家に斬り捨てられた。「フェラーリは戦後ですよ、新入りです」。確かに。失礼しました。

「ミラノのあるロンバルディア地方の人なら語るだけでは済ませませんね。子供が5歳くらいになるまでにすでに10回はモンツァに連れて行ってるはずです。そこで、アルファはすごいよ、いい音だろ、カッコいいねと言い続けて愛が育っていくんです」

ご存知の通り、アルファロメオはロメオという名前が加わる以前から参戦していた、自動車イコール参戦の歴史を持つメーカーだ。それは走る広告塔としての販売効果を狙ったからだったが、走っても勝たなければ広告塔にはなり得ない。勝利への執念がアルファロメオを鍛えあげ、何よりイタリア人を惹きつけた。

「アルファロメオは我々の理想とする姿の投影であり、拠り所なんですね。イタリア人にアルファロメオが嫌いな人はまずいないと思います」

さて、生まれついての、この意味は理解できたが、枕詞を付ける人と付けない人に明確な違いはあるのだろうか。

「アグレッシブとか控えめとか、個人の性格にもよりますし、どれを以ってアルファと呼ぶかもそれぞれ違う。この辺りも絡んでくると思います。フェラーリの場合は通常、好みは技術的な面で分かれますが、アルファの場合はそれだけではない。歴史も絡んでくる。ここもまたアルフィスタの特徴ですね」

イタリア人の知人にMiToを持つ人がいる。彼はアルファ好きだが、アルフィスタとは名乗れないと控えめだ。164のオーナーは「フィアット傘下に入ってから生まれた164をアルファとは呼べない」と言われたそうだ。アルファスッドを遠ざけるのはミラノのフリーク。アレーゼで生産されたモデル以外はアルファではないと豪語する強烈な手合いもいるらしい。みんな、それぞれのやり方で楽しんでいる。

Alfa Romeo Racing C38, details of the special livery for the 2019 Formula 1 FIA world championship, Italy Grand Prix, at Monza from september 5 to 9 – Photo Florent Gooden / DPPI
07 RAIKKONEN Kimi (fin), Alfa Romeo Racing C38, action during 2019 Formula 1 FIA world championship, Italy Grand Prix, at Monza from september 5 to 9 – Photo Florent Gooden / DPPI
地元モンツァ・サーキットで開催された2019年F1イタリアGPの模様。アントニオの笑顔が地元の声援の多さを物語っている。F1マシンのカウルにはジュリアとステルヴィオの車名が左右に入っていて、その結びつきをアピール。その2台のシャシーがジョルジオと呼ばれているのは、実にイタリアらしいエピソードと言える。
ストーリアがいっぱい

私はアルファロメオを所有したことがない。日常の足は走行距離15万kmを突破したフィアット・パンダ。2代目モデルだ。ドライビングも下手。卓球に喩えるなら温泉の娯楽室で浴衣で遊ぶピンポン程度。アルファのハンドリングを楽しむ腕は持っていない。アルフィスタとは名乗れないが、それでもアルファロメオが大好きだ。正確に言えば同社の歴史に魅せられる。イタリア語では歴史も物語もストーリア、一語だ。これで行けば同社の歴史というよりたくさん詰まった物語に魅せられると言えるかもしれない。

歴史の長いアルファロメオには物語がぎゅう詰めである。戦前、経営難から国有化された同社は第2次世界大戦中、国策によって自動車以外のモノを製作した。ベスパのボディはよく知られているが、他にも窓のシャッターやオーブンも作っている。オーブンは最高350度まで加熱可能。これで家庭用というから驚く。どれほどの技術を携えた会社なのだろう。日本同様、敗戦の痛手を負ったこの国の人々を支えたのは54年にデビューしたジュリエッタだ。キャッチフレーズはイタリアの恋人。グッとくる。60年代には今に至るまでスポーツカーの理想と言われる33ストラダーレを製作したアウトデルタの登場がある。この立ち上げの話も面白い。そういえばアウトデルタの設立記念日に行なわれる(今でもこういう催しがあることにも驚かされるが)イベントで、参加者同士、いつも揉めるそうだ。いわく「アウトデルタはカルロ・キティが偉かったのか、ジョルジオ・ピアンタが立派だったのか」。誠に濃い国である。

アルファロメオのストーリーは語り出したらきりがないけれど、現代に続いているところもステキだ。例えばジョルジオというシャシー名。これすら胸がキュンとなる。イタリアでもほのかに都会的な匂いの漂う名前。ジュリアの製作チームに在籍したエンジニアに由来を尋ねたら、ジュリア復活を悲願とした当時のCEO故セルジオ・マルキオンネのアイデアと教えてくれた。「別に意味はなくて、そばにジョルジオという名前の社員でもいたんでしょう。マルキオンネはそういう人でしたから」。ジローラモとかジュゼッペという名前の人がそばにいなくて本当によかった。

PSAとの合併統合に現れているように現在のFCAは難しい局面を迎えている。なかでもアルファロメオの現状はとても厳しいものだ。GTVはおろか、トナーレのデビューも先送りとなった。それでも世論は前向きである。いや、「アルファを下手に扱ったら俺たち、許さないからな」、凄む感じである。イタリア人にとってアルファロメオは”我がこと”なのだろう。

2019年は久しぶりにモンツァ・サーキットに足を運び、F1イタリアGPを観戦した。フェラーリの優勝を目のあたりにして感動したが、この時、スタンドで隣りに座った親子のことは優勝以上に忘れられない。お父さんは30代、地味な服装だった。アルファのエンブレム付きのキャップをかぶった子供は5歳くらい、就学前だと思う。この親子、周りの熱狂とは無縁のように大人しく腰掛けていた。「パラボラ(カーブ)を通過しました」という場内アナウンスが流れるまでは。これを耳にするとふたりはすっくと立ち上がり、そして別人のように絶叫するのである。「ゴーゴー・アルファー!」。「アントニオ〜」。ジョヴィナッツィのマシンが通過すると座り込み、再び大人しく、俯いて両手を結び下を向く、まるでお祈りしているかのように。レースの間中、着席と祈り、起立と絶叫を繰り返し、レースが終わるとお父さんは力尽きたかのようにヘナヘナと膝をついた。横で息子が声を掛ける。

「アントニオは上手くなってるよ。2020年はきっといい年になる。また来ようね」

生まれついてのアルフィスタはお父さんに手を引かれて帰って行った。ふたりの後ろ姿を見送りながら、彼らにとってアルファロメオは我がこと以上、家族、いや故郷なのだと思った。それは心の故郷である。

これらは2019年のミッレミリアの様子。アルファロメオはジュリアとステルヴィオのクアドリフォリオに設定したF1参戦記念限定車である『F1トリブート』を持ち込み、ドライバーのアントニオ・ジョビナッツィも会場を訪れた。なお両車は日本でもジュリアが6台、ステルヴィオが4台で限定発売された。
第2次世界大戦中、国策によってアルファロメオはベスパの車体プレスほか、鉄道関連、窓枠などクルマ以外のものを製作した。イタリアの常で上にガスの火口のついたCUCINA(キッチン)と呼ばれる家庭用オーブンもそのひとつで、100台ほど製作されたといわれるレアなプロダクツ。現在ではコレクターズ・アイテムになっている。
エンツォ・フェラーリの生涯を綴った『REX』を執筆したルカ・ダル・モンテの最新作、『la congiura degli innocenti』(無実の謀反)。アルファロメオ・エンジン時代となるブラバムの4年間を綴っている。

PROFILE/松本 葉

自動車雑誌『NAVI』の編集者、『カーグラフィックTV』のキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を行う。著書に、『愛しのティーナ』(新潮社)、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』(NHK出版)、『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)、『私のトリノ物語』(カーグラフィック社)ほか、『フェラーリエンサイクロペディア』(二玄社)など翻訳を行う。