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1990年代の夢幻NISSAN SKYLINE GT-R & EUNOS COSMO

国産車の性能と品質が急速に向上した1990年代。それはもちろん"バブル景気"があったからと解釈できるかもしれないが、急激な変化は、単に"お金"だけではない開発者たちの努力もあればこそ。ともに世界の舞台で戦い、磨き上げた結果生まれた奇跡の2台を紹介しよう。

TEXT / 増田 満 PHOTO / 内藤敬仁
SPECIAL THANKS / 後藤祐介(コスモ)

1990年代の夢幻

1995 NISSAN SKYLINE GT-R V-SPEC

日産の”901運動”を覚えているだろうか。日産自動車が1980年代に打ち立てた”1990年代までに技術の世界一を目指す”というものだ。動力性能を向上させてハンドリング世界一に、またデザインでも世界一を目指すために開発力の向上に努めた。この結果生まれたのが初代シーマやR32型スカイライン、Z32型フェアレディZたちだった。

これらのクルマは新たの時代を思わせる性能とスタイルで、ユーザーを魅了した。またP10型プリメーラで示された欧州車にもひけを取らないハンドリングは、乗った誰しもが世界レベルに達したと感じたもの。

そんな当時の日産を代表する1台、スカイラインGT-R。グループAレースを席巻し、終盤ではR32GT-Rのワンメイクレースの様相まで呈したあの名車だが、そのR32型にはまだ改善の余地があった。ツインターボエンジンのパワーを受け止めるシャシーだ。

その原因はボディ剛性。先代のR31より小さくなったボディは、モノコックの強度を問題視されることがあった。ストリート向けにチューニングされた車両の場合、捩れる症状が顕著に出たのだ。これは90年代になって新型車開発の舞台に多用されるニュルブルクリンク・サーキットのように、起伏が激しく極めて過酷なシーンにおいては弱みになってしまう。そこでR33開発時にはニュルでのテストを繰り返し行い熟成を図る。

1995年に発売されたR33型GT-Rは、ボディ剛性を大幅に引き上げるのと同時にサイズアップを果たした。ホイールベースを伸ばしたことで、安定性を重視したシャシーへと切り替えられた。だが、発売当時はサイズアップしたことへの反発が強く、R33型の真価が正しく伝えられたか疑問だった。

今回改めて取材できたR33型GT-Rは、実に走行距離が1万7千kmでしかない。数ヵ月前に手に入れたオーナー氏にしても、納車されてから1ヵ月以上の時間をかけて日産プリンスディーラーで入念な整備を実施している(取材時)。そのため走行距離が伸びていないのだ。つまり、新車当時のボディ剛性やエンジン性能がほぼ保たれたままの貴重な個体ということになる。

だからだろう、エンジンをかけた瞬間にR32型では感じなかったボディの強靭さが全身に伝わってきた。これだけでも今回の個体の素晴らしさが十分に理解できたが、クラッチを繋いだ瞬間、さらに思いを強く抱くことになった。半クラッチ状態での振動が皆無に近く、繋がり切った瞬間もボディは何事もなかったように平和なのだ。今回は本格的な走行は控えたため、以後は過去に乗った印象になるが、R33型GT-Rの真価は直進安定性だけでなくコーナリングマナーにある。R32型を初めて運転した時にも驚いたものだが、R33型では高出力エンジンを完全に御している感覚がさらに強い。どのような場面にあっても車体から不安感は伝わらず、R32をジャジャ馬に例えると、R33はサラブレッドのようにスマートな速さを引き出せるのだ。

だからこそR33型GT-Rは1995年、ニスモにより大幅なモディファイが加えられて、1990年以来途絶えていた日産のル・マン24時間レース挑戦を再開させたのだ。結果から言えばマクラーレンやポルシェに及ばなかったものの、量産車ベースであることを考えたら喝采を送りたい10位入賞だった。

280psの最高出力を発生するRB26DETT型エンジンは、ECUを16ビット化してきめ細かい制御を実現している。最大トルクはR32型の36kgmから37.5kgmへと向上したため、乗りやすくなっている。全車にブレンボ製キャリパーを装備。またVスペックが当初から設定されており、アクティブLSDを標準装備している。写真の前期型のステアリングホイール・センターパッドは後期型で形状が変更される。
1994 EUNOS COSMO TYPE SX

同じル・マン24時間レース、1991年に日本メーカーとして初めて勝利したのがマツダだ。ロータリーエンジン車がル・マンへ初参戦したのは、実に1970年に遡る。最初はシェブロンからのエントリーだったが、1979年からはマツダオート東京からマツダスピードへと名前を変えて参戦し、1983年からはグループCカー(ジュニアクラス)へマツダ717Cが参戦する。727から737、757から767へとル・マン参戦は引き継がれ、4ローターの26Bを搭載する787Bが1991年に総合優勝を果たした。

初参戦から21年目にしての大金星だったわけだが、このル・マンへの参戦がロータリーエンジンを進化させたとも言える。優勝したのは4ローターの787Bだが、その間には3ローターの13G型が登場する。言わずと知れたユーノス・コスモに搭載される20Bの元祖だ。RX-7が代々2ローターだったことを考えると、ユーノス・コスモにはマツダの技術が集約されたという意味合いが込められていたように思う。

ユーノス・コスモが発売されたのは1990年のこと。前年に発売したユーノス・ロードスターが全世界的なヒットとなり、ユーノス(マツダ販売多チャンネル化に先陣を切ったブランド)の認知度を高める意味もあって、フラッグシップであるコスモには量産車初の3ローターが与えられたのだ。

当時、メーカーの広報車であるコスモに乗ったことがある。A/T だけの設定でM/Tがなかったことを残念に思いながら、一度アクセルを踏み込めばそんな想いは霧散してしまう。背中を蹴飛ばされるような加速感は、当時280psを誇る高性能車が続出した国産車の中にあって格別。反面、燃費は相当に悪かった。運転中、燃料計の針が見る見る減っていく。狐につままれたのかと思うが、給油すると燃料計の動きが正常だったと気づく。街中を走っているだけでリッター当たり3kmに届くかどうか。極悪な燃費に恐れ入って買いたいとは思えなかった……。

コスモと対面するのは10年ぶりくらいだろうか。目の前にある個体はオーナーの後藤氏が1オーナーだったものを手に入れて以来、室内保管で維持されたもの。走行距離が2万kmを超えたところで、先のR33型GT-Rに負けない極上ぶりだ。鈑金歴はなく、新車の塗装が今も光り輝いている。現在のマツダのテーマカラーであるソウルレッドの元祖とも言えるボディカラーは、スマートなロングノーズ・ショートデッキスタイルを際立たせている。

室内に乗り込むと、ラウンドしたダッシュボードが迎えてくれる。これは当時ペルソナで示されたマツダの提案で、広さよりも乗員を包み込むかのようなデザイン。外観同様に国産車離れした高級感とデザイン性を備えていた。オーストラリア産仔牛による本革シートは、国産車では例のない豪華さだった。

走り出すと3ローターの20Bエンジンが強烈な印象を与えるが、それを支えるサスペンションは意外にソフト。全長が4815mmと5m近くあり、ホイールベースも2750mmとスポーツカーとしては異例に長い。それゆえジャガーのような乗り心地を示し、ハンドリングマシーンでは決してない。だからと言って節度のない足まわりではなく、あたりはソフトでもしっかり腰がある。

ではコスモでサーキットを走りたいかと問われたら、そこは微妙。むしろ街中や高速道路で真価を発揮するタイプであるように思える。ル・マンでの栄光とは裏腹に、ユーノス・コスモは極めてゴージャスなロードカーなのだ。3ローターのスムーズさを味わいつつ、時に豪快な加速を楽しむ。贅沢極まりないクルマであり、古今東西同じようなコンセプトのモデルは、販売価格が4倍も5倍もする超高級車だけだろう。

ちなみに発売当時、コスモの上級グレードの新車価格は500万円を超えた。それゆえだろう、5年余りの生産期間に対して登録台数は1万台に届いていない。いかにバブル期とはいえ、またいかに超高級車として大きな存在感を放っていたとはいえ、当時の日本にその世界を解する粋人は少なかった。

量産車初となる3ローター・シーケンシャルツインターボ20B 型エンジンは設計段階で333psを発生したが、自主規制により280psに落ち着いたという逸話を持つ。最大トルクは41kgmにもなり、A/Tのみのトランスミッションでも相性が良かった。ラウンドした室内デザインは先進的で、世界初となるGPSカーナビが20B搭載グレードに標準装備された。タイプSベースのSXにはハーフレザーシートが採用された。

今回は20年近い歳月を低走行のまま新車のようにコンディションを維持してきた2台に接することができた。それぞれ全くキャラクターは違うのだが、それが今の日産とマツダに通じる価値観を有しているように感じた。激動の1980年代を過ぎ、このような2台を生み出した1990年代は国産車のヴィンテージ期だと断言しよう。

世代を超えた好敵手、GT-R vsロータリー

プリンス自動車時代の第2回日本グランプリでポルシェ904と競ったことから、レースに勝つことが運命付けられたスカイライン。3代目のKPGC10・GT-Rは50勝という輝かしい記録を打ち立てたものの、マツダ・ロータリー軍団の猛追を受けて王者の座から陥落。だがレースのDNAは途絶えることなく、グループAを席巻したR32に続き、R33ではル・マン24時間レースにも挑戦した。
世界で初めてロータリーエンジンの量産に成功したマツダは、その特性を生かしてレースに打って出る。ファミリア、カペラがスカイラインGT-Rに挑み、サバンナRX-3の登場により王者の座を奪取する。その後は敵なしの強さで100勝を挙げた。国内だけでなく海外レースでもロータリー車は活躍し、長らく参戦し続けてきたル・マン24時間レースでは、1991年に787Bが総合優勝を果たした。