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自動車技術&文化史探訪

華を巡るタイムスリップジュネーブ・ショーを振り返る

コロナ禍で2019年を最後に開催が途絶えている、スイスで毎年3月に開催されるジュネーブ・ショーであるが、振り返ればその後の自動車シーンに大きな影響を与えた数多くの名車が誕生している。今回の当コーナーでは、1960〜70年代にジュネーブ・ショーを彩ったモデルを思いつくままに挙げることで、ショーの歩みを辿ってみることにした。

TEXT / 伊東和彦

華を巡るタイムスリップ

ジュネーブ・インターナショナル・モーターショー(仏名:Salon international de l’automobile)は、毎年、3月初旬に開催される。年明け早々のジュネーブを観ると、その年の自動車界が目指す方向性が見えてくる。ここではジュネーブでベールを脱ぎ、あるいは一般公開され、その後の自動車シーンに大きな影響を与え、現代でも高く評価される、今やクラシックカーと評されるクルマのデビューにスポットを当ててみることにした。長い歴史を刻んできたジュネーブ・ショーには星の数ほどのクルマがデビューしている。これを書き始めた私でさえ、この話がどう展開していくのかわからない。写真探しの難航も予想され、クルマ選びも独断になるかも知れぬが、与えられたスペースでどこまでできるか、お付き合い戴ければ幸いだ。

世界の5大自動車ショー
1955年にはフィアットがまったく新しい小型大衆車の600をこの場で一般公開した。(FCA)

ジュネーブ・ショーには長い歴史があると記したが、その初回が開催されたのは1905年のことだ。その様子を垣間見ることができる画像には出会わなかったが、会場には、まだ誕生して間もない”新進気鋭”のガソリンを燃料にした内燃機関のほか、蒸気自動車、そして電気自動車も展示されていたという。

ジュネーブ、フランクフルト、デトロイト(北米国際オートショー)、パリ、東京を世界の5大モーターショーとするのが一般的だ(この中に世界最大の自動車市場・生産国である中国が含まれていなのは不可解だが)。これらの中で最も初開催が新しいのは、1954(昭和2 9)年から始まった東京モーターショーだが、その他のショーの発芽は自動車の誕生後間もない時期だ。歴史の古い順に挙げれば、パリが1898年、ジュネーブが1905年、デトロイトが1907年、フランクフルトが1951年ということになる。ただしフランクフルトの場合は1897年にベルリンで初開催されたモーターショーが、第二次大戦後に、東西ドイツが分断されたことで、西側のフランクフルトに場を移したという経緯がある。

英国勢の出品は少ないが、1960年のリストで見つけたのは、このトライアンプ・ヘラルド・コンバーチブル。(Triumph)

イギリスでのモーターショーも歴史が古く、1896年に有志によって”馬なし馬車”のショーが催され、1903年にロンドンのクリスタルパレスで、その前年に設立され、現在に続く、SMMT(Society of Motor Manufacturers and Traders)が主催する最初のブリティッシュ・モーターショーが開催されている。

ジュネーブはイタリアのカロッツェリアからの出品も多い。これは1963年にベルトーネが公開したシボレー・テステュード。(Bertone)

このほか、かつてはジュネーブと並んでイタリアのカロッツェリアが多くの作品を発表していたことで知られる、トリノ・ショー(初開催は1900年)が盛況で、多くの話題を発信していた。だがトリノは、100周年に当たる2000年を最後に従来からのモーターショーとしての役目を終え、現在は大幅に規模を縮小し、無料で入場できる展示会になっている。

トリノ・ショーが衰退した大きな理由のひとつに、4月開催のトリノの1月前、3月初旬にジュネーブが開催されていることが挙げられている。このため、2000年に開催された第68回トリノ・ショーは6月に開催月を移動して起死回生を図ろうとしたが、功を奏することはなく、2000年の68回が最終年となってしまった。もうひとつ、4月開催であったトリノにとってマイナスになったのは、かつては栄華を誇ったカロッツェリアが衰退・消滅し、ショーの華がなくなったこともあるだろう。

そして、海外勢にとっては、フィアットの牙城であるイタリアでのショーに魅力を感じなくなっていたこともある。3月初旬には、市場規模は小さく、自国に規模の大きな乗用車生産会社(かつてはスバッロやモンテベルディなどの少量生産メーカーが存在した)が存在しないことから、極端に偏った市場の指向を持たない、すなわち中立の国際市場であるスイスで大規模なショーが開催されるからである。春からの商戦を前に向けて新型車を披露するには3月が好都合だったともいえる。かくして、3月のジュネーブは欧州のショーが軒並み隔年開催になるのに対して、毎年開催され、話題のニューモデルや新技術が公開されるというわけだ。

ジュネーブでデビューした話題作

前述したようにいわば”自動車産業中立国”での開催ということもあり、それまで新興メーカーがジュネーブでクルマを発表したことで、一躍、国際的なスターダムに登ることや、既存のメーカーがジュネーブならではのセンセーショナルなモデルを初公開することが多々あった。また、高価格車にとってはスイスは無視できない市場であろう。本誌にもよく登場する1960年代以降、石油危機と排ガス対策に翻弄される1970年代半ばごろまでに絞って(1973年にはここで初公開された新型車はなかった)、ジュネーブを上手に使って話題づくりをした例をいくつか挙げてみよう。

ランボルギーニの場合
1964年にランボルギーニは初の市販型である350GTをこの場で公開した。(Lamborghini)

ゼロからの自動車づくり、それもジュネーブの常連であるフェラーリをライバルとするランボルギーニは、この場を自社の存在感を知らしめる場として、積極的に活用していたことがわかる。1963年のトリノ・ショーでプロトタイプタイプの350GTVを公開したのち、1964年のジュネーブで生産型の350GTを発表。さらに1966年には、350GTをベースに4リッター・エンジンを搭載して400GT 2+2をデビューさせている。

その登場が霞むほど大きな話題となったのは、ショー会場の話題を浚った先進的なグラン・トゥリスモ、ミウラをこの場でデビューさせたことである。前年のトリノでランニングシャシーを公開し、それがロードカーとして具体化されるのか、果たしてどのようなボディをまとうのかとじらされた人々を驚かさせるには、目の肥えた観客が集まるジュネーブは絶好の舞台になったはずだ。さらにランボルギーニがこの場を新型車発表の舞台に選んだ例には、1968年での400GTイスレロとエスパーダがある。エスパーダはフェラーリには存在しないフル4シーターモデルとしての登場であり、その誕生の発芽となったベルトーネのデザインのマルツァルが公開されたのは1967年のこの場であった。

1971年のスターは、このイエローの衝撃ともいえるカウンタック(LP500)だろう。(Bertone)

1970年には、400GTイスレロの後継モデルとして、ミウラの成功以来、きわめて良好な関係となったカロッツェリア・ベルトーネにボディ製作を委ね、マルチェロ・ガンディーニのデザインになるハラマを発表している。翌1971年には同じくガンディーニがデザインしたL P 5 0 0カウンタックが公開され、そのスタイリングは一大センセーションを巻き起こした。もっとも、ランボルギーニ社はこの頃から財政難に陥って”活力”は下降線を辿り、やがてフェルッチョの下を離れることになるが、ジュネーブでは毎年のように話題を振りまく、ショーの華であった。2019年にもウラカン・エヴォなる新モデルを持ち込んでいる。

ジャガーの場合
ジャガーは1961年のジュネーブで、ライオンズが自らEタイプをお披露目させた。(Jaguar)

ウィリアム・ライオンズ率いるジャガーがEタイプのデビューの舞台に選んだのは1961年のジュネーブ・ショーのことだった。ライオンズが満面の笑みを浮かべてEタイプ・フィックスドヘッドクーペの横に立つ有名な写真が残っている。このレジストレーションナンバー”9600HP”のクーペは、発表前に行われたM1での最高速テストを含む様々な社内テストや、英国の自動車専門誌によるテストリポートに共され、英国から自走でジュネーブにやってきた。Eタイプはそのスタイリングと性能、そして絶妙な価格によって成功を収めることになるが、そのデビューの場が”中立の”ジュネーブであったことも貢献しているのかも知れない。

ポルシェの場合
1964年のジュネーブでのポルシェ・ブースの様子。新登場の904GTSが公開された。(Porsche)
これは1949年に初めてジュネーブに現れたポルシェのスタンド。グミュント工場製の356を2台展示。(Porsche)
ポルシェは1969年のジュネーブでまったく新しいレーシングモデルの917をアンベールした、正にその瞬間。(Porsche)
1977年、ポルシェは新開発のV8エンジン搭載の928で新境地に踏み出した。そのデビューの場にジュネーブを選んだ。(Porsche)

1949年のジュネーブに、誕生して間もないポルシェは小さなスタンドを設けて出展した。展示したのは、戦禍を避けて疎開していたオーストリアのグミュント工場で生産した356クーペとカブリオレだった。ポルシェはこの場から世界に向けて、メーカーとして産声を挙げたことと、完成したばかりの自社製スポーツカーの存在を告知したといえるだろう。生産モデルだけでなく、レーシングモデルの初公開の場にジュネーブを選ぶこともめずらしいことではなく、1964年には904GTSを、1969年には917を初公開している。

この稿をまとめるに当たって、手元のカタログナンバーなどの資料を捲りながら、ジュネーブで公開されたモデルを挙げてみたが、英国車は少ないことがわかった。あとは写真で振り返ってみることにしよう。

1967年、ベルトーネはショーカー、ランボルギーニ・マルツァルを公開した。これが翌年のエスパーダに繫がる。(Bertone)
ピニンファリーナが1969年に公開したフェラーリP5。レーシングスポーツを意図したモデルだが、実現化せず。(Pininfarina)
1965年のこの場でルノー16がデビュー。FWDの中型乗用車で卓越した居住性と多用途性から1966年COTYを受賞。(Renault)
新生代のアルファ・スパイダーとして、デュエットが登場したのは1966年のジュネーブだった。(FCA)
大成功を収める”02″シリーズがBMW1600としてデビューしたのは1966年のジュネーブだった。(BMW)
ボルボはジュネーブで2座パーソナルカーのP1800を一般公開した。これは試作車との由。(Volvo)
日本車もジュネーブの常連になりつつあった1966年、カロッツェリア・ギアが公開したのはいすゞベレットをベースにした117スポルトだった。(Isuzu)
フランスの航空機/ミサイルメーカー、マトラがミッドエンジンのスポーツカー、530を公開したのは1967年のジュネーブだった。(MATRA)
スイスは大衆車メーカーにとっても重要な市場だ。シトロエンは1969年のジュネーブでAMI6の発展型、AMI8を公開。(Citroën)
1970年ジュネーブでシトロエンはフランスで絶えて久しい高級パーソナルカーとしてSMを公開した。(Citroën)
英国のジェンセンは、1972年ジュネーブでロータス製DOHCの2リッターエンジンを搭載したジェンセン・ヒーレーをデビューさせた。(Jensen)
脱ビートルを模索していたVWはFWD小型車への舵を切り、その先兵となるシロッコを1974年に公開した。(VW)
1979年、ジウジアーロはいすゞのコンポーネンツを用いて、117の後継モデル(のちのピアッツァ)をこの場で披露した。(Italdesign)