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自動車技術&文化史探訪

初代からの精神を守り抜いている稀有なクルマ1967年、シボレー・カマロ誕生の頃

1967年にデビューしたシボレー・カマロは2017年で生誕50周年を迎えた。本稿では少し視点を変えて、モデルやラインナップ解説ではなく、初代と2世代目に的を絞って、カマロが生まれたころのアメリカ自動車界の様子を交えながら、その存在感を浮かび上がらせてみたい。

TEXT / 伊東和彦

初代からの精神を守り抜いている稀有なクルマ

2016年12月に行われたゼネラルモーターズ・ジャパンのビジネスカンファレンスの会場には、初代カマロも展示された。

読者はご存知だろうが、GMがカマロを発売した発端は1964年4月にフォードが放ったマスタングにある。端的に言えば、爆発的なヒット作になったマスタングの成功を横目で見ながら(羨みながらだろう)、その市場に参入すべく誕生を急ぎ、投入したモデルだ。これは、同じくビッグスリーの一画を占めるクライスラーにとっても同様で、1970モデルイヤー(MY)でダッジ・チャレンジャーをラインナップに加え、いわゆるポニーカー旋風が北米を舞った。

マスタング誕生の経緯についても読者諸兄に置かれては既にご存じのことと思うが、本稿には必要な事象なので要約しておこう。

マスタングは、第二次大戦後に生まれた若者が運転免許を取得する時期を迎え、いわゆるベビーブーマーを主要ターゲットに据えたクルマであった。さらにこの頃には、経済的に豊かになったアメリカでは、家庭にクルマを2台所有することが増え始め、そのセカンドカーはファーストカーよりも小型でスポーティーなモデルを選ぶ傾向があることがフォードの市場調査にて判明していた。さらに、若い人たちの声が、家庭内での次期購入車を左右するという事実にも注目した。彼らはまだ車を購入できる年齢になる以前から、クルマに大きな関心をもっていたのだった。彼らは両親が選ぶような”真面目なセダン”より、”カッコのいい”クルマに憧れた。また、フォード車の販売実績から明らかになったのは、生真面目な大衆車として投入したファルコンの実績だった。そのユーザーは質素で安価なベースモデルではなく、高出力エンジンなど豪華なオプションをたっぷり盛り込んでいることが判明したのだ。

この事実から、設計の要件は、軽量で小型ながらスポーティーな性能を持ち、低価格で販売できるクルマ。これに豊富なオプションを用意することに決まった。安価にするためには、既存の小型車をベースにする必要があったが、好都合なことにフォードには大きな成功を収めて快進撃を続けるファルコンがあった。その信頼性の高さは折り紙つきであったから、これをベースにロングノーズ、ショートデッキのスポーティーなスタイルを造り上げればよかった。本体価格(発売当初は2368ドル)を低めに設定。そのかわりに前例を見ないほどの豊富なオプション群を用意し、その中からユーザーが自分の好みに合ったものを選択できる”フルチョイスシステム”と称する販売方法を採用した。購入者は必ずオプションをあれこれ装着するので、メーカーやディーラーは大きな収益が期待できた。余談ながら、この”フルチョイスシステム”は、後にトヨタが初代セリカに用いることになる。

マスタングの目論見は的中し、発売開始の1964年に半年で約12万台を、4カ月で全米5位に、発売から6カ月でコンパクトカーの1位となった。発売から12カ月間の総販売台数は41万8812台に達し、ファルコンが持つ初年度販売世界記録を書き換え、翌65年には約56万台を達成。フォードはファルコンとマスタングで大いに潤うことになった。

こうしたマスタングの大成功を目にした、全米第1位(すなわち世界一)のGMがその独走を許しておくわけはない。満を持して1966年9月、1967MYの先陣を切ってカマロを市場に放った。その半年前、同年3月にはマスタングが累計販売100万台を記録するという、まさに好機であった。

撮影時期は不明だが、GM社内でライバルのマスタングと並べ、検討を受けるカマロの試作モデル。
GMの資料でみつけたレイアウトの説明図。前後二分割のモノコックボディで、フロントにはサブフレームを備える。リアのリーフスプリングはリーフが各1枚の”モノリーフ”。
記念すべきカマロの初号機(VIN100001)。本格生産開始の前の1966年半ばにオハイオ州ノーウッド工場で49台のパイロットモデルが手作業で組み立てられた。直列6気筒230エンジンに3速M/Tの組み合わせという大人しい仕様だ。
1968年セブリング12時間レース仕様にレストアされたスノコ・ペンスキーZ28。ペンスキーは1967年から自身のチームを立ち上げ、SCCAプロフェッショナルシリーズに参加した。石油大手のスノコをスポンサーとし、マーク・ダナヒューを起用。チームが独自に開発して使った超軽量ボディを試して成功を収めた。1968年セブリングでは総合3位、Trans-Amクラス優勝を果たした。
カマロと1966年アメリカ車

1966年秋、GMのシボレー・ブランドは、シボレー、シェヴェル、シェヴィⅡノヴァの各オーソドックなモデル群、意欲的なリアエンジンのコルヴェア、純スポーツモデルのコルベット、そして新登場のカマロの6シリーズによるラインナップ構成で、その中のシボレーがGM販売の半数占める圧倒的な存在であった。

毎年、モデルチェンジを繰り返すことで顧客の購買意欲を煽るという販売政策は、元々、1920年代にシボレーが打倒フォード・モデルTの作戦として始めたものだが、1967MYはフェイスリフトだけで済ませていた。その大きな理由は安全装備を充実させることを優先した結果に見える。衝突時にステアリング・コラムが収縮して衝撃を吸収する機構や、ハザードランプの装着、ブレーキの2系統化など、見えないところをグレードアップしている。また、車種によってはディスクブレーキやカーオーディオ(8トラックカセット)もオプションになった。見方によっては、シボレーは他のモデルをフェイスリフトに止め、期待の新車であるカマロに顧客の目を集中させたかのようでもある。

GMはカマロのために”Fボディ”と名付けたホイールベース108インチ(2743mm)プラットフォームを準備した。WB(110インチ:2794mm)のシェヴィⅡノヴァのコンポーネンツの多くを供用するものの、カマロはその着せ替え版ではなく、むしろ翌1968MYのノヴァはカマロをベースに生誕したといえる。

ボディ・バリエーションはマスタングに倣い2ドアクーペとそのルーフを取り去ったコンバーチブルの2種で、マスタングのようにファストバック・ボディは持たなかった。スタイリングは直線的なラインを多用したマスタングに対して、カマロはコークボトルラインと呼ばれたグラマラスなサイドビューを持つ、曲線を生かしたスタイリングを採用した。1967年2月には姉妹車のポンティアック・ファイアーバードを派生している。

エンジンは大人しい230cu-in(3.8リッター)140bhpと250cu-in(4.1リッター)の各直列6気筒、302cu-i n(4.9リッター)290bhpから396cuin(6.5リッター)375bhpまでの6種のV型8気筒と豊富に揃えた。ちなみ427が加わったのは1969MYからだった。これにモデルバリエーションのパッケージとして、当初、スタンダード、スーパースポーツ(SS)、ラリースポーツ(RS)を用意、ホットモデルのZ28を追加した。Z28はそれ以降の世代にも引き継がれる(中断期間あり)カマロのスポーティアイコンになっている。また、モーターレーシングではSCCAのTrans-Amで好成績を挙げている。

資料によれば、1967MYの実績では22万917台を生産(そのうち1万5000台コンバーチブル)し、1万3868台を輸出している。モデルの内訳を見ると、RSが最も多く6万4842台、SSが3万4411台、ホモロゲーションモデルのZ28は602台であった。搭載エンジンを見ると、6気筒が約5万9000台弱で残りの16万台がV8を選び、約12万4000台がオートマチックを装着している。M/Tは3速と4速が用意されているが、その比率はほぼ半数で、興味深いことに僅かに3速M/Tが多い。ここから分かるのは、RSにV8エンジンとA/Tを組み合わせたモデルが代表的な初代カマロ像ということになるだろう。顧客はパワフルなスペシャリティーカーを望んだといえる。1968MYでは23万5151台に伸び、プロダクションモデルとなったZ28が約7200台にアップした。

一方、ライバルのマスタングといえば、急速にモータースポーツに傾倒するフォードの象徴となった。シェルビー・マスタングG T350/GT500を派生するなど、マッスルなスポーツカーへと進化を辿っていく。その一方、1969年には、ファストバックのスタイリングが印象的なマッハ1と安楽仕様のグランデを新設定するなどバリエーションの拡大を図った。さらに1971年にはマスタングとしては最も肥大化した新モデルへと発展したが、それは最初期モデルに比べて30cmほど長く、約270kg重くなっていた。

だが、こうして大型化するマスタングとは対照的に、カマロは初期のコンセプトを引き継ぎながら成長していくことになる。

初代カマロは短命に終わり、1970年2月には早々と第2世代が投入された。だが、第2世代の実態はといえば、機構的には初代のそれを踏襲し、スタイリングをリフレッシュしたものといえた。1974と1978MYで外観に手を入れながら1981年まで製造され、1982MYに引き継がれるまでの長寿モデルとなった。

このあたりの実績を見ると、1969MYでは約24万3000台、1970 1/2では12万5000台となり、オイルショックの1972と73年には10万台を下回り、20万台に復帰するのは1977年になる。

2世代目はその長い生産期間の間に、安全対策とその後に続く排ガス浄化と燃費削減という、自動車にとって大きな難問を抱えることになる。まず、衝突安全性を向上させるため、1974年にはいわゆる5マイルバンパーを装着し、無骨なバンパーを覆い隠すように前後のスタイリングに手を入れている。ほぼ同時期に、史上最も厳しいと言われた排ガス規制(マスキー法)に対応するため、エンジンのパワーは大きく削がれ、燃費も悪化した。当初、アメリカ市場では燃費は大きな問題にはなかったが、中東紛争に端を発したオイルショックが全米を襲うと、メーカーは燃費対策のために一斉にダウンサイジングを余儀なくされ、カマロもボディには顕著な小型化は行わなかったものの、1980年には3. 8リッターV6という排気量の小さなV型エンジンを導入している。アメリカ車にとって重要なサイズとパワーという訴求力を削がれる時代にあって、改良(熟成)を重ねながら生き続けたのが第2世代だった。

一方、マスタングはといえば、1974年のフルモデルチェンジで1974MYとして発売したマスタングⅡに発展する。大型化の道を辿ったことに対してユーザーから反発を受け、軌道修正を余儀なくされた結果であり、1973MYと比べて483mm短く、222kgも軽くなっていた。石油危機によるダウンサイジングと、欧州や日本製のスポーティーカーへの対抗策であり、この大転換によって販売状況は好転している。だが、GMはカマロへの大規模なダウンサイジングは行わなかった。結果的にこの時点でカマロとマスタングは異なった舞台に属することになった。その後、マスタングが大型化したことはご承知のとおりだ。

カマロの各モデルの生産期間が長くなった理由として、安全や環境対策に翻弄されてきたことが上げられる。確かにそれも間違いないことだが、本来、アメリカ車はフェイスリフトを頻繁に行っても、よほどの量販モデル(儲かる)でもなければ、モデルチェンジのスパンは長い傾向にある。現行モデルは2015年に登場した6世代だが、2世代(1970〜81年)、3世代(82〜92年)、4世代(93〜02年)、5世代(09〜15年)と第2〜4世代はモデルスパンが10年ほどなのである。

現在のカマロは、もちろん機構的な進化は怠っていないが、初代からの精神を守り抜いている世界的にも稀なクルマといえまいか。

1967 Chevrolet Camaro Z28
1967 Chevrolet Camaro Z28
Z28は当初、SCCAの人気ロードレースシリーズであった”Trans-Am”にカマロを参戦させるべく、ホモロゲーション取得のために開発された。シャシーとサスペンションを強化し、クロスレシオの4速M/T、3.73レシオのファイナル、強化型ディスクブレーキなどを備える。1969年4月に発売され、1967MYでは602台のみを生産したに過ぎない。次年度モデルから量産モデルになる。
1967MYのSSコンバーチブル。こうしてみると1960年代のGMが好んで用いたコークボトルラインが強調される。ヘッドライト部分のグリルがスライドしてライトが現れる機構が斬新だった。
1969MYのZ28。この年から425bhpを発揮する”427″エンジンが搭載可能になった。50基だけアルミブロックの427が搭載されたとの記録がある。
アメリカのスポーティーカーにとってインディ500のペースカーに選ばれることは大きな名誉だ。初代カマロはデビュー直後の1967年と1969年に選ばれている。写真は1969年のもの。この後、1993年、2009から2011、2014、2016年にも務めている。姉妹車のポンティアック・トランザムは1980年と89年だった。
カマロは1970MYでモデルチェンジを果たした。機構的には先代をほぼ踏襲。独立したグリルが特徴的なスタイリングを採用した。これは1972MYのSS。
1975MY2世代目は排ガス規制、燃費削減、安全対策の強化という難問のクリアを余儀なくされた。1974MYから衝撃吸収バンパー(軽合金製)を装着したことで、その分、全長が7インチ伸びた。
1980MYのRS。1978MYでは露出していたバンパーをカバーしたスタイリングを採用した。1979MYでは”ベルリネッタ”と名付けたモデルを設けた。日本市場では1979MYのカマロの販売が好調で、カマロとしては最多販売になったはず。写真は1980MYのRS。