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COLUMN

多摩川スピードウェイの遺構がなくなる?TAMAGWA SPEEDWAY

河川敷に日本初の常設サーキットとして、1936年にオープンした『多摩川スピードウェイ』。その遺構が消滅の危機を迎えているという。

TEXT / TMB PHOTO / 多摩川スピードウェイの会
SPECIAL THANKS / 多摩川スピードウェイの会(https://www.facebook.com/TamagawaSpeedwaySociety

多摩川スピードウェイの遺構がなくなる?

1937年5月16日に多摩川スピードウェイで行われた全日本自動車競走大會。こちらは商工大臣カップレースのスタートシーンで、国産小型車クラスで争われた。

東京と神奈川の都県境を流れる多摩川の下流、その川崎市側の河川敷に日本初の常設サーキットとして、1936年にオープンしたのが『多摩川スピードウェイ』だ。一周1200mのオーバル・コースで、日中戦争が激化する1938年までの間、ワークス・ダットサンやオオタのレーサー、プライベーターのブガッティやベントレー、若き本田宗一郎が手掛けたマシンなど、様々なマシンによっていくつものレースが開催された。

戦後は周囲の宅地化が進み、また鈴鹿をはじめとするより本格的なサーキットが各地に生まれたことにより『多摩川スピードウェイ』はその役目を終え、現在は市民球場となった。しかし、コンクリート製の観客席などは同時のまま残っており、貴重な産業遺構となっている。また、2016年5月にはサーキット設立80周年を記念した記念プレートが設置され、その除幕式には川崎市長も参加して行われたという。

1924年、本郷のアート商会が製作したレーサー、『カーチス号』。本田宗一郎氏が修行時に製作に携わった。現在はツインリンクもてぎにあるホンダコレクションホールが所蔵する。
フランスのレーシングカー、1926年のブガッティT35C。三井財閥の総帥三井高公氏(後の八郎右衛門氏、男爵)が当時所有し、こちらも現在はホンダコレクションホールが所蔵する。

そんな貴重な多摩川スピードウェイの遺構であるが、ここに来てひとつの問題が出来した。それは、昨今頻発する都市部の水害などに対応するため、国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所が、多摩川スピードウェイの跡地に現存する観客席を完全に取り壊し新たな堤防を造成する、という計画を発表したことだ。

『多摩川スピードウェイ』の歴史的意義の研究・情報発信を行う任意団体 『多摩川スピードウェイの会』(会長 片山 光夫)は、「一級河川の治水事業は公益性・流域住民の安全のため、最優先で実施されるべきものです。その一方で、本跡地と観客席の日本の自動車産業発展における産業遺産的な重要性、さらに川崎市の行政ビジョン『川崎市新多摩川プラン』で跡地の保存が明言されていることに鑑み、観客席の保全と治水事業の”両立”が図られるべきものと考えます」との緊急声明を7月21日に発表した。

モータースポーツ、ひいては我が国の基幹産業でもある自動車産業の歴史の語り部ともいえる日本初の常設サーキットの遺構を何らかの形で後世に伝えたいと思うのは、多くの人にとって共通の願いだと思うのだが……。

*多摩川スピードウェイの会では、現在ネット署名などを検討中とのこと。情報が入り次第、当ページを更新する予定です。

80周年記念式典の折に『多摩川スピードウェイの会』から川崎市に寄贈され、現存する観客席に埋め込まれた記念プレート。多摩川スピードウェイの歴史が和英併記で記されている。
多摩川スピードウェイのグランドスタンド跡。戦前のサーキットの観客席が当時のままの姿で残るのは世界的にも極めて稀少な例だ。
2016年5月に開催された『多摩川スピードウェイ80周年記念式典』。ホンダコレクションホールの協力で、かつてこの地を走ったカーチス号とブガッティT35Cが展示された。背後にグランドスタンド跡を臨む。