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ミニの足元を支えた偉大な技術者BMC MINI & MOULTON

産業革命以来、工業用ゴムで英国の産業界に貢献した事業家一族の末裔として生まれたアレックス・モールトンは、先鋭的な技術者であり、お城で育った優雅な紳士でもあり、ミニの成功を足元で支えたのも彼だった。名古屋のアウト ガレリア"ルーチェ"で開催された企画展を肴に一考察。

TEXT / 岡田邦雄 PHOTO / アウト ガレリア"ルーチェ"

アレックス・モールトンのことを思うと、”アルビオンの貴公子”という言葉が浮かんでくる。アルビオンとはイングランドの雅号のような呼び方だが、裕福な家庭で何不自由なく、のびのびと育ち、賢く、背も高い美男子というイメージだ。実際、彼はそういう人で、曽祖父がアメリカ伝来のゴム事業で成功した産業革命期の工業界の重鎮であり、その事業と資産はアレックス・モールトンにまで引き継がれた。

モールトンはケンブリッジ大学に進学以前に、自宅でサイクルカーのGNに蒸気機関を搭載した自動車を製作していたが、大学では石炭などの固形燃料をガス化した燃料で動くエンジンを開発した。戦争が始まるとブリストルで航空機エンジンの改良と開発に従事している。ブリストルでは有志と自動車開発にも携わったが、それはポルシェやタトラが採用して理想的なエンジン配置と思われたリア・エンジン車だった。ルノーも戦後は4CVでリア・エンジンを採用し、イタリアでも、ダンテ・ジアコーザが、リア・エンジンの有利さを強調して、フィアット600や500を開発した。それに対して、FWDの優位さを世に示したのはアレック・イシゴニスが生み出したミニが嚆矢であり、後にダンテ・ジアコーザもFWDに改宗したのだった。

戦後のモールトンはケンブリッジで、構造力学、液体力学、熱力学などを学び、自らの会社に研究所を設立した。後に家業はエイボン・タイヤに売却し、研究施設だけを存続させている。そのモールトン研究所では、ゴムを使ったサスペンション・システムが研究され開発された。

その時すでに、アレック・イシゴニスは自ら開発したレーシングカーにゴムをスプリングとして採用しており、小さなクルマにはラバーがふさわしいという見解を抱いていた。モーリス・マイナーを開発したイシゴニスは、一時、アルヴィスに移籍し、1台のプロトタイプを完成させた。そのクルマに採用されたのが、モールトンのハイドロラスティック・サスペンションだった。それはイシゴニスがBMCに復帰すると、ADO16とADO15で採用された。もっともコストのため、ADO15ミニではハイドロラスティックが採用されたのは僅かな期間で、ほとんどがラバーコーンのみであった。このふたりが出会った頃にモールトン自転車の開発も始まっており、イシゴニスもサジェスチョンしたようだ。モールトン自転車にはどこかしらミニと共通する思想が感じられないだろうか。

イシゴニスとモールトンは共にシトロエンに強い関心を持っていたが、ふたりともオースチン・セブンでレースを始め、フェラーリが大好きだったという共通点があったことも報告しておこう。

ミニマムなミニにはむしろシンプルなラバーコーンのほうがふさわしくも思うが、エンジニアリングの理想を追い求めるモールトンは、ハイドロラスティックの装備を求めていた。モンテカルロ・ラリーで優勝したミニがいずれもハイドロラスティック装備車だったことは、モールトンの主張の正しさを示す何よりの証左であっただろう。

モールトン・サイクルの特徴は、ミニが小径のタイヤを採用したメリットと同じく、低重心による走行性能の高さに加えて、積載スペースも大きく取れる点である。その可能性を実現した様々なモデルが開発された。

ミニのスタイルに感銘したジョヴァンニ・ピニンファリーナから「あなたも素晴らしいデザイナーですね!」と褒められるとイシゴニスは見下すように「私はエンジニアだ!」と言い放ったが、このイシゴニスのスケッチを見ると、デザイナーとしてのセンスも窺われる。

自動車がモノコック・ボディに進化していった時代だったから、モールトンの最初のプロトタイプも先進的なモノコック・フレームで考案された。しかし、風切り音なのか、フレームの中の駆動音なのか、騒音が発生する欠点があり、却下された。

自動車にまつわる様々なテーマで年に数回の企画展を催すギャラリー、名古屋のアウト ガレリア”ルーチェ”は世界でも稀な存在だろう。2017年10月〜12月にかけて開催された『モールトン・バイシクル&ミニ』展は、当時40回目の企画展となっていたが、本国イギリスのデザイン・ミュージアムに巡回しても良いほど質の高い展示内容だった。