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自動車技術&文化史探訪

ルノーと共に歩みスポーツカーに挑み続けたジャン・レデレ──人とクルマ

2017年のジュネーブ・ショーで発表され、翌2018年には日本上陸を果たした新生アルピーヌの新型A110。この稿では、そのアルピーヌの創始者であるジャン・レデレ(1922~2007年)の人物像、そしてA110のルーツであるA106誕生当時、そして同社のル・マン挑戦に焦点を当ててみることにした。

TEXT / 伊東和彦 PHOTO / Renault Archive

1951年モンテカルロ・ラリーでは、レデレはルノー4CVをドライブし、44位でフィニッシュを果たした。

ルノー4CVから始まった

優れた小型大衆車から、これまた優れたスポーツカーが誕生。同時にモータースポーツの裾野を広げてきたと、カー・マガジン誌の連載では何度も記してきた。第二次大戦後のフランスでは、正しくそれはルノー4CVだ。ルノーのフェルナン・ピカール技師らは、戦中から平和の時代が訪れた時のために、小型大衆車の設計を進めていたことで、早くも1946年秋のパリ・サロンでのデビューを果たし、1年後には発売に漕ぎつけている。

4CVは、疲弊した経済状況の中で庶民の足として登場した安価な小型大衆車だったが、機構面では安易な妥協を一切していなかった。4ドアの軽量なモノコックボディに組み付けたサスペンションは、フロントがウィッシュボーン/コイル式、リアがコイルスプリングによるスウィングアクスルの4輪独立式だった。ステアリングはラック&ピニオン式であった。そのリアエンドに配置した水冷4気筒OHVエンジンは、当初760cc(55×80mm)で、圧縮比6.7から19ps/4000r.p.m.を発生。強いていえば、トランスミッションが3速なことだけが多少の不満な箇所であった。1951年には排気量を747ccに縮小しているが、これはモータースポーツに出場する場合に750cc以下クラスに入るためというのは、モータースポーツ発祥の国ならではの英断ではなかろうか。

戦前には、華麗なスタイリングをまとった高性能車の宝庫だったフランスは、国土が戦場になったことで受けた戦禍と、ひどい戦後不況によって、自動車産業全体が見る影もないほど沈滞していた。さらに福祉財源を得るためとして、政府が課税馬力15CV以上の大排気量車に対して高額の税金を課したことも大きな要因となって老舗メーカーが衰退。また、小型のスポーツカー・メーカーも休業状態で、エンスージァストにとってはスポーツカーの飢餓状態にあった。

そこに登場したルノー4CVは、すべてのフランス人にとって朗報であったことだろう。安価な乗用車であったが、高度なメカニズムを備えていたことから、スポーティなドライビングを楽しむことも可能で、さらに腕に覚えのあるチューナーにとっては絶好の素材と化したからである。事実、それをベースとしてスポーティなスペシャルが誕生していった。そうした試みのなかで量産(というほどの規模ではないが)に進んだメイクに、オトブル、ブリッソンノー・エ・ロッツ、そしてアルピーヌがあった。

この中で大成功したのは、ディエップでルノーのディーラーを営んでいたジャン・レデレが手掛けたアルピーヌだった。彼の父親もまた、戦前にルノーの販売店を営んでいたが、戦争によって会社施設は破壊され、さらに会社自体もドイツ軍によって接収されたため、失意のうちに廃業し引退を余儀なくされた。大学で経済を学んでいたレデレは、学資を稼ぐため、終戦間もない1946年末にたったひとりでクルマの販売をはじめ、ルノーを扱い始めた。といっても、クルマ不足に悩むフランスでは、そう簡単に供給が需要に追いつくものではなかった。そこでレデレは、軍が放出したジープやトラックなど軍用車の中古やスクラップを買い入れて修理(再生)して販売するというビジネスに着目した。この仕事のため、社用車の4CVでフランスをくまなく走りまわることになり、4CVを熟知していった。軍用車再生ビジネスで大きな収益を上げ、さらにルノーの販売も軌道に乗りはじめると、父親の会社があった場所を買い戻して、自社を構えるまでに成長を果たした。

ミッレミリアでイタリアン・コネクション

彼がモータースポーツに足を踏み入れたのは1950年のことで、最初のクルマは社用車のルノー4CVであった。レース出場も回を重ねるにつれ、その戦闘力を向上させるため各部に手を入れ続け、やがて彼の頭の中には4CVをベースにした小型スポーツカーの構想が膨らんでいった。その構想は4CVスペシャルとして具体化を図り、1952年には具体化している。

レデレは、モンテカルロやアルペン・ラリーなど長距離イベントに参戦しているが、そのキャリアで最も成功を収めたのはミッレミリアであった。1952年には4CVをドライブしてスポーツカテゴリー750cc以下でクラス優勝を果たしたのを皮切りに、翌53年にはスポーツシリーズ750cc以下クラスで優勝。54年にはスペシャル・ツーリング750cc以下クラスで優勝を果たしている。さらに55年には、4CVをベースにしたスペシャルを持ち込んでいる。それは、イタリアのジョヴァンニ・ミケロッティがスタイリングを担当し、カロッツェリア・アレマーノがベルリネッタ・ボディを架装した2座クーペで、レデレたちはこれでミッレミリアに出場。彼の盟友であるガルティエがクラス1位を果たし、レデレも2位という好成績を収めた。このころ、レデレはパリで大きなルノー・ディーラーを経営するシャルル・エスコフィーの娘と結婚している。これによってエスコフィーからの援助のほか、ルノーとの結び付きが強化されたと見るむきもある。

ルノー4CVは優れた設計により、モータースポーツでも好成績を挙げることができた。このフロアパンがアルピーヌの原点だ。

ルノーあってこそ

その1955年には、ミッレミリアで実績を積んだ4CVスペシャルの製品化に駒を進めるべく、自らが魅了されたアルプスの山道に因んで命名したというアルピーヌ社を設立すると、初の独自モデルとなるA106ミッレミリアを同年のパリ・サロンでデビューさせた。

A106はミッレミリアで成功を収めた4CVスペシャルの発展型で、生産化に当たってはアレマーノのオリジナルであるアルミ板金製ボディから、スタイリングを変更するとともに、材質をFRPとしている。この時期、FRP製ボディはまだめずらしかったが、レデレはその軽量さと強靱さ、そして、いったんモールドを製作してしまえば後の生産が比較的容易なこと、均一な品質が得られること、また大きな投資が必要でないという美点に着目し、かねてから強い関心を抱いていたとされている。だが、まだまだFRPは高価であり、大型製品への採用例も少なかった。1953年にFRP製オープンボディを採用したシボレー・コルべットが量販車としては先駆だが、あとはバックヤード・スペシャル程度の生産規模に限られており、アルピーヌ用のFPR素材も、当時その分野では世界をリードしていた米国から入手している。余談ながら、コルべットはFRP製のオープンボディとしては先駆者だが、クローズドボディの生産車ではA106が初採用ということになる。

生産初期には750ccユニットを搭載し、エンジンのチューニング程度により、ノルマル、ミッレミリア、後にスペシャルを追加している。前述したようにこの時期のフランスはスポーツカーの飢餓状態にあったから、アルピーヌの登場はそうした人々にとって朗報以外のなにものでもなかった。1958年にはカブリオレと、ルノー・ドーフィンをベースにした新モデルのA108を追加するなど、バリエーションの拡充を図っている。

レデレは当初から、ルノーとの関係を重視して行動し、自らがメーカーになるに当たって、ルノーのエンジンやトランスミッション、サスペンションなど多くのコンポーネンツを最大限に使用している。もちろんそれが安価で安定的に入手でき、信頼に足るコンポーネンツであったことは事実だが、販売や整備などで、顧客がルノーのネットワークが活用できるという利点が大きい。そしてアルピーヌは成功への道を進み、また、ルノーにとっても、スポーティなイメージの向上に役立つことになった。さらに加えれば、1962年頃からルノーが生産工場を持つ海外でのアルピーヌのライセンス生産を開始している。スペイン、ブルガリア、メキシコ、ブラジルなどで、アルピーヌの現地生産が行われている。

1955年ミッレミリアでフィニッシュする、レデレの構想で製作された4CVベースのスペシャル。ボディはミケロッティがデザインし、アレマーノが架装した。これがA106の最初のプロトタイプだ。

2016年のグッドウッドFOSに展示された、A106の2番目のプロトタイプ、”ル・マーキス”。ボディはFRP製。1954年ニューヨーク・オートショーに出品された。

A106で順調な滑り出しを見せたアルピーヌは、ルノーが4CVの発展型であるドーフィンを発表すると、それをベースとしたA108を製作。これは前期型のA108カブリオレ。後期になるとA110と同じ顔つきになる。

アルピーヌはA110のラリーでの成功によってその名を世界に知らしめた。これは1973年5月のアクロポリス・ラリーでの凱旋走行。1位にカーナンバー1のA110 1800Gr.4が、3位にカーナンバー5のA110 1800Gr.4が入った。

アルピーヌはフランス国内のルノー工場などでもライセンス生産され、アルピーヌにとって重要な収入源となった。これはブラジルのウィリスがA108をKD生産したウィリス・インテルラゴス。

国旗に因んでトリコロールに並ぶ3台のA106。1955年にA106の生産を開始し、アルピーヌはメーカーの仲間入りを果たした。

生産型A106は、アレマーノ製オリジナルとはスタイリングがだいぶ変わり、4CVのイメージを残したように見える。

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