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加藤仁先生のルノー4と、北京-パリ・ラリー激闘の33日間、12000kmを駆け抜けたキャトル

世界的アルピーヌ愛好家にして、近年ではファミリア・ロータリークーペとの海外チャレンジでも大きな話題を呼んだ超級エンスー。一方で「仁先生」という愛称とともに仲間たちから愛される大人格者としても知られる。

TEXT / 武田公実 PHOTO / 佐藤正勝&加藤仁

愛知県在住のベテラン医師、加藤仁先生と言えば、日本を代表するアルピーヌ/ルノー愛好家として、つとに知られる大人物。1979年以来、30年以上に亘って複数のA110を愛用してきたほか、元祖アルピーヌたるA106も長らく所有。また世界遺産級とも言えるレーシングプロトタイプM63(以前はA210も所有)を駆って、仏本国の「ル・マン・クラシック」などにも果敢に参戦する。

その一方で、近年では青春時代の愛車であったマツダ・ファミリア・ロータリークーペ(R100)に再び傾倒。1970年のスパ・フランコルシャン24時間レースで活躍したR100クーペの復元に成功し、2015年にはスパで開催された「マスターズ70sセレブレーション」に参戦。「R100で自らスパを走る」という積年の夢まで実現した、いわば超級エンスーなのだ。

そんな仁先生が「近ごろルノー4とともに国内各地の公道イベントに出没している」という噂を聞いて、きっと国内のラリー系イベントは、アシも兼ねたラクなクルマとともに気軽に楽しんで……。なんて勝手な想像を巡らせていたら、さにあらず。

実は仁先生のキャトルは、小さなモンスター。2013年に開催された「第5回北京―パリモーターチャレンジ(通称:北京―パリ・ラリー)」エントリーのために、仁先生が本場フランスの仲間に製作してもらい、実際に2大陸8か国12000kmを走破してきたという、ホンモノの猛者だったのである。

世界的アルピーヌ愛好家にして、近年ではファミリア・ロータリークーペとの海外チャレンジでも大きな話題を呼んだ超級エンスー。一方で「仁先生」という愛称とともに仲間たちから愛される大人格者としても知られる。

伝説に挑む可愛いモンスター

仁先生とキャトルのチャレンジに話題を進める前に、まずは「北京ーパリ・ラリー」についてご説明する必要があるだろう。この壮大な大陸横断ラリーは1907年、フランスの新聞「ル・マタン」の企画によって開催された長距離ラリーが起源。この年6月10日に北京をスタートし、62日間かけて8月10日にパリに到着。イターラ35/45HPに乗るイタリアのボルゲーゼ公爵が栄えある勝者となった。

北京ーパリ・ラリーは、当時のヨーロッパで大きな注目を集め、まだ不確定な新技術であったガソリン自動車の可能性を大いにアピールしたものの、その後開催されることなく伝説となっていた。しかし、90年後の97年に「第2回」として復活。2007年には百周年を記念して第3回が開催され、その後は三年に一回のペースで、定期的に開催されることになった。

だが、サーキット指向が高いと思われがちな仁先生が、そもそもこの大陸間ラリーに興味を抱いた理由とは?

「僕たちが出たのは第5回でしたが、その前、第4回となる2010年版を収録した番組をNHK-BSでたまたま見て、これだっ! って(笑)」

ルノー4はこの時の参加車両中、最も小さなクルマの一つ。過酷なラリーに、どうしてこんな小さなルノーで?

「ホントは、もっと小さなアルピーヌA106で走ってやろうかと思ってたんだけど、さすがに主催者側からNGが出て、ならばキャトルで出てやろうということになりました。この時、フランスでは有名なアルピーヌ公認のボディレストアラーであるマーク・オリエさんに専用のマシンを作ってもらうことにしたのですが、本人の希望もあって、ラリー本番でも一緒に走ってくれることになったのです」

かくしてマークさんが製作したキャトルは、まさしく生粋のラリーカーとなる。エンジンは5アルピーヌ用に換装。カムシャフトも高速型に換え、キャブレターは45口径のウェーバー二連装。スタンダード4の約3倍に相当するパワーを得たという。またモンゴルでの渡河にも備え、エグゾースト系はルーフの上に這わせている。

そして圧巻は駆動系。ルノー・キャトルの特装モデルとして少数が生産された「シンパー4×4」用パートタイム4WD機構をコンバートし、1979-80年の「パリ~ダカール・ラリー」に参戦したキャトルにも負けない駆動力を獲得したのだが、実戦ではこの4WD機構がアキレス腱となって、仁先生を苦しめることになるのだ。

連鎖するハプニングを乗り越えながら西へ……

2013年5月28日。中国・北京郊外にある万里の長城近くから、96台のクラシックカーがスタートした第5回北京ーパリ・ラリー。仁先生とマークさんの乗るキャトルも、順調な滑り出しを見せた。国境を越えて内モンゴル自治区、さらにモンゴル人民共和国に入ったのちも、勝手の分からなさゆえ周囲の大排気量車に負けないペースで走らせていたのだが、ラリーの6日目、モンゴルの首都ウランバートルから少し先にあるブルガンという小さな町を走行中に事件が起こる。

「もともとシンパー4×4の4駆は、不整地をトコトコと越えるためのものだったのに、我々はモンゴルの砂漠地帯に入ったあたりから、ずっと4駆で全開走行しちゃって、しかもトルクが標準型よりも大きいせいで負担が掛かり、ミッションのリングギアが欠損。走行不能になってしまいました」

序盤で早くもリタイアを覚悟したが、日頃からフランスとのコネクションとして協力してもらっているという友人、細田真美子氏に電話し、急遽パリから新しいミッションを送ってもらうことになる。

「結局トランスミッションが、我々が根城としたウランバートルの町工場に届いたのは4日後。そのあとマークさんが2日かけて換装してくれましたが、遅れは合わせて一週間。既にラリー本隊はモンゴル国境を越えて、2000km近くも先にいました」

いくら一か月の冒険ラリーとはいえ、一週間分の遅れは致命的だろう。

「でも、なんとか完走だけでも目指したいと思って、このあとロクに休みも取らずに、チェックポイントもいくつか飛ばして本隊を追っかけました。そしてようやく追いついたのは、ロシアの奥地に進んでから。ウーハという町でした。もう、その時はホントに嬉しかった。これでやっと休める、ちゃんと食事もとれるって思いました」

そしてこのあとは、もう大きなトラブルに見舞われることはなかった?

「いやいや、そんなに甘くはありません(笑)。ロシアではフロントとリアのハブベアリングが相次いで壊れたけど、フロントはマークさんが予測してパーツを持ってた。リアはロシアでもわりと楽に手に入ったので、すぐに交換できました。ところがスロバキアで、再び事件が発生してしまいました。ここまで駆動系を酷使してきた疲労が溜まりに溜まって、ついにクラッチのレリーズベアリングがバラバラに分解しちゃったんです。しかも、マークさんがこれも直前に予期してスロバキアに送らせておいたパーツが合わず、いったんは途方に暮れてしまったのですが、ここで地元のルノー・クラブ・スロバキアが一肌脱いで、メンバーの愛車から部品を取り外して、貸してくれることになりました」

そして北京ーパリ・ラリーの舞台は西ヨーロッパへと移り、オーストリアからスイスを経てフランスに入国。ついに6月29日、パリ・ヴァンドーム広場にゴールを果たすことができた。モンゴルでの大修理からリカバリーすべく、正規のルートを外れてしまっていたことから入賞こそ逃したが、「Against All Odds」と名付けられた敢闘賞を授与された仁先生とマークさん。しかし、パリに到着した時に最初に感じたのは「喜び」よりも「安堵」だったとの由。それでも、パリから帰国する飛行機の座席に座って、機内エンターテイメントの飛行航路図でユーラシア大陸の地図を見たとき、これだけの距離を一か月かけて走り抜いてきたという感慨と感動が一気にこみ上げてきたという。

その後、仁先生のキャトルは南仏にあるマークさんの工房に預けられ、ボロボロになった駆動系を中心に修理することになる。特に4WDシステムを中心とする作業が難航したせいか、あるいはマークさんにとっても手放したくないという想いがあったのか、このキャトルが初めて日本の地を踏んだのは、2016年9月のことである。

その後は国内車検を取得して、同年11月5~6日に開催された「全日本ラリー選手権:新城ラリー」のデモランで国内デビューを果たした。さらに一週間後の11月12~13日には四国・愛媛周辺を舞台とする「ミルキーウェイ・ブルーアイランドラリー」にも、愛知から自走で参加したという。

こうして安住の地でゆっくり余生を過ごすことになったかに見える、仁先生のルノー・キャトルだが、どうやら先生の心中では、再び「悪い虫」がうごめき始めているご様子である。

「北京ーパリ・ラリーは、あの時、モンゴルの砂漠であんなにむやみに飛ばさなきゃ、たぶんもっと上位に食い込めたかもしれないと思うと、なんとかもう一回エントリーしてリベンジを果たしたくなっちゃってるんですよ(笑)」 彼の夢に歯止めをかけるなんて、どだいムリな話のようである。

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