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COLUMN

80~90年代にトヨタが挑み続けた
ラリー黄金時代
TOYOTA WRC RALLY MACHINE CATALOGUE

モンスターマシンの饗宴と言われたGr.Bの時代である1980年代、トヨタはセリカ(TA64)で参戦を決める。それから1999年のカローラWRCがタイトル奪還とともにWRCから去るまで、トヨタが戦い続けた第一期黄金時代のマシンを振り返ってみよう。

TEXT / 古賀敬介&三宅康朗 PHOTO / 神村 聖
SPECIAL THANKS / メガウェブ(https://www.megaweb.gr.jp/

80~90年代にトヨタが
挑み続けたラリー黄金時代

CELICA (TA64)

ロングレイドで強かったセリカ・グループB

3代目セリカ(A60型)をベースにしたホモロゲマシン、GT-TSが1982年に発売。200台限定であったが、これをベースに更に高度な改造を施した20台のエボリューションモデルをTTEが製造。それがセリカ(TA64) グループBであった。1983年のミルピステ・ラリーでデビュー。いきなり2位の好成績を収めると、その2戦後のコートジボワールで初優勝。その他84年のサファリ、85年のサファリとコートジボワール、86年のサファリで優勝と、とにかくアフリカで圧倒的な強さを見せ、高い耐久性を証明してみせた。

CELICA (ST165)

トヨタ初の4WDラリーマシン

1987年からグループAで争われるようになったWRC。この時、既に主流は4WD。2WDでは勝利を掴むことは難しかった。そこで白羽の矢が立ったのは前年に発表されたばかりのセリカGT-FOUR(ST165)。これをベースにTTEはラリーマシンとして仕上げ、88年のツール・ド・コルスでデビュー。初年度こそトラブルに手こずったが、徐々に戦闘力を付け、89年にはJ・カンクネンが初優勝を飾っている。

CELICA (ST185)

日本車初のメイクスタイトル獲得

日本では89年に登場したセリカ(ST185)だが、先代ST165が好調だったために、ST185がWRCに姿を表したのは92年の開幕戦モンテカルロからだった。この年C.サインツは5勝を上げドライバーズタイトルを獲得。翌93年にJ.カンクネンを再びエースドライバーとして招き入れると、年間13戦中7勝という圧倒的な強さを見せ、トヨタに日本車初のマニュファクチャラー・タイトルをプレゼントした。※写真はサファリラリー優勝車

CELICA (ST205)

WRC最後のセリカ

94年の後半に投入されたセリカ(ST205)だが、この年も好調で2年連続でマニュファクチャラー・タイトルを獲得するとともに、ドライバーズ・タイトルを手中に収めた。しかし95年、三菱、スバルの台頭により三つ巴の様相を呈した。そんな中第7戦終了後にセリカに重大な規則違反が見つかり全ポイント剥奪&1年間の出場停止という重い処分が下る。結果ST205はこのまま表舞台から姿を消した。

COLLORA (AE111)

ワールドラリーカーで復活

1年間の出場停止の後、トヨタはWRC からの撤退も考えられたが、あえて継続を選択した。タイミングよくレギュレーションがWRカーに変更されるのに合わせ、車種をセリカからカローラへとスイッチ。1年間の出場停止の後、更にもう一年開発に時間を費やし98年から参戦した。初年度から高い戦闘力を見せ、翌年の99年にはマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得。雪辱を果たした。

TOYOTA IS2

開発途中でカテゴリー消滅
更にレア! 超幻のラリーカー

TTE(現在のTMG)がAE92のカローラFXをベースに製作したラリーマシン。ISとはアイデアル・サクセッサーの略で「理想の形を具現化する」という意味。先に紹介した222D同様次世代ラリーカーの試作車だが、こちらは更に一歩進んだ開発が注ぎ込まれた。エンジンレイアウトはフロントに3S-Gを縦に置く。トランスアクスルを介した駆動方式はフルタイム4WDで、これを支えるサスペンションはなんと前後マルチリンクという特異なもの。グループSはハンドリングが重要視されていたので、このような技術が採用されたのであろう。もしデビューしていたらどんな走りを見せたのか? 非常に気になる一台だ。