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ボクらのヤングタイマー列伝

みんな大好きなグループBマシンを
取り上げます!
WRCグループB詰め合わせ

遠藤イヅルが自身のイラストともに1980年代以降の趣味車、いわゆる"ヤングタイマー"なクルマを振り返るのがこのコーナー。1971年生まれの遠藤イヅルと1973年生まれの編集担当が、独断と偏見でお届けします! 今回はみんな大好き、グループB詰め合わせで行っちゃいますヨ!

TEXT / 遠藤イヅル(イラストも)

レーシングマシーン顔負けの設計でも、連続する12ヵ月の間に200台生産すればWRC(世界ラリー選手権)に参戦できたグループB(Gr.B)。WRCのトップカテゴリーとしてレギュレーションが全面的に施行された1983 年のメイクスタイトルは、まずランチアが『037ラリー』で獲得しましたが、Gr.4とGr.Bが混走していた前年の1982年、既にアウディは高性能4WD車『クワトロ』を投入して優秀な成績を収めており、1983年もランチアと互角の戦いを展開しておりました。

ところが続く1984 年、プジョーはMR+4WD という”見た目は205 だけど中身はモンスター” な『205T16』で参戦を開始。037ラリーだけでなく、アウディ・クワトロでさえ勝つのが難しい状況を作り出したのです。

そんな中ライバルは手をこまねいていたわけではなく、ランチアは1985 年末に205T16と同様にMR+4WD とした『デルタS4』を、アウディは1984年にショートホイールベース化して戦闘力を増した『スポーツクワトロ』、ついで1985 年にはさらに大仰な空力付加物をまとった『スポーツクワトロS1』を投入していきます。しかし、デルタと言いつつまったくデルタの面影もないデルタS4も、ラリーカーとは思えない派手なスポイラーが目を引くスポーツクワトロS1も、205 T16の牙城を崩すことはできませんでした。そして1986 年…… ランチアのエース、ヘンリ・トイボネンが競技中に死亡。フォーミュラカーよりも速いと言われ、他にも数人のドライバーが亡くなっていたGr. Bカーは危険視され、その年で廃止となるのはご存知のとおりです。

そんな過激なカテゴリーのGr.Bですが、日産240RS、トヨタ・セリカ(TA64)、マツダ・サバンナRX-7 などの日本車もホモロゲーションを獲得してWRC で戦っていたほか、参戦数が少ないもののれっきとしたGr.B カーなクルマや、計画だけで終わったクルマもありました。中でも、今でも参戦して欲しかったと思うのが『ダイハツ・シャレード・デ・トマソ926R』です。Gr.Bカーのシャレード926ターボをベースに、205T16も真っ青なオーバーフェンダーを装着。直3 ターボエンジンはDOHC化してミッドに搭載していました。1985年の東京モーターショーに展示され、市販やWRC 参戦への期待も膨らみましたが、結局その夢は叶わずに終わります。

個人的にも思い入れが強いGr.Bカー。このほかにもシトロエンBX4TC、オースチン・メトロ6R4など、ハチャメチャなマシーンもあります。続きはまたどこかで!(笑)