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自動車技術&文化史探訪

色濃く反映された風土と精神性シトロエンを中核にした
フランス車考

2019年に創立100周年を迎えたシトロエン。それに因み、ここではフランスの国土が育んだシトロエンの個性を考えてみることにした。

TEXT / 伊東和彦 PHOTO / Peugeot Citroën Archives
クルマが育った環境が個性を創る

フランスの国土は欧州の中でも広い。海外県や属領を含めれば西欧で最も広い国土を持ち、欧州本土だけに限っても、54万4000k㎡ほどと日本の約1.5倍ある。ところどころに高原や丘が点在するものの、平野や緩やかな丘陵地が続き、山々は東から南にかけて平野を囲むように聳えている程度だ。国土の6割が海抜250m以下の平地であるといい、これからもいかに平らな地形なのかがわかる。この地形ゆえに、人が住むことができる地域の面積は、山岳地帯が多い日本のおよそ3.5倍にも達し、ここに日本 の5割ほどの約6718万人(2018年1月1日現在)が住むという、人口密度の低さである。平野は耕作地に適し、これゆえにフランスは西欧最大の農業国になり得たのである。

なぜ、本題に入る前にフランスの地形から 話をはじめたかといえば、こうした国土のさまがクルマの性格形成に色濃い影響を与えたといえるからだ。私は、クルマはある時期まで地産地消の工業製品として歩みながら発達してきたと考えている。それが生産された国の風土、すなわち気候や地形、地質などがそこに住む人の慣習や文化が大きな影響をおよぼし、これに製品づくりに対する国民性、哲学や嗜好などが加味されて工業製品の個性となって現れてくる。その結果、高速道路での走行性能に優れたクルマ、広大な国土を長 距離安楽に移動可能なクルマ、大衆車であっても俊敏なもの、車内にも家と同様に木と革を多用したクルマ、意匠に芸術的センスが滲み出たクルマなどと、製品の個性が確立される。こうした地産地消を念頭に開発されたクルマには大きな転機が訪れる。貿易だ。特に 大海を越えて原産国とはまったく異なった環境の国々で販売 されるようになると、次第に、輸出先の市場の要求を受け入れ、持って生まれた個性は次第に薄まっていく。だが、自社ブランドを大切にするメーカーなら、積み重ねてきた個性をすべて捨て去るなどせず、そのメーカーの持ち味として生かし続けていることはご承知のとおりだ。

話をフランス車に戻そう。文化や芸術では世界の先端を突っ走るフランスだが、こと日常に使うクルマについては保守的だと思える(一握りの顧客のために贅を尽くした高級車は話が別だ)。ただし、ここでいう保守とは、”乗用・商用車の本来の基本要件”ということに尽きる。広く平らな国土に散らばる都市間を繋ぐ直線区間の長い一般道路、それも路面が平坦ではない、舗装がいいとは言えぬ道を比較的高い平均速度で往来する機会が多いことから、伝統的なフランスの乗用車は、うねった路面に追従するよう、大きな(長い)サスペンションストロークを設定し、優れた直進安定性を備えている。快適な乗り心地に寄与するシートに代表される居住性と空間、充分なトランクスペースは必須要件であり、かつ燃費がよくなければならない。これらの必須基本要素を高い次元でバランスするためなら、他国の技術者が目を回すような高度な技術も、コストを勘案したうえで躊躇なく採用されてきた。

こうした欲求を高度に満足させようとした結果をシトロエンに挙げれば、欧州で先駆けて採用した全鋼板製ボディであり、トラクシオン・アヴァンであり、DSシリーズであろう。また、すべての無駄を取り去った2CVも同様だ。

トラクシオン・アヴァンで量販車としては先駆的な前輪駆動を採用した理由も、こうした道路環境において、快適性と走行性能を高めようとした結果にほかならない。また、その後継モデルとして登場したDSは、トラクシオン・アヴァンが備える能力をさらに高い次元に引き上げようとして、ホイールベースを可能な限り長く設定したうえで、複雑な機構ゆえにコストアップが伴うことを厭わず、ハイドロニューマチック・サスペンションを“発明”し、採用している。ハイドロニューマチックはその後もシトロエンの技術的象徴として、近年のC6まで発展を続けて連綿と使い続けてられてきた。

だが、一般的なフランスの消費者にとっては、それらが前輪駆動であるか、あるいはハイドロニューマチックであるかなどは“どうでもいいこと”であり、運転中に“この快適さは、長いWBとハイドロゆえだ”などと感じ入っているわけでないはずだ。投資(車両価格)に対して見合う価値を持った実用車としての機能と性能が得られればいいという、合理的な観点での価値判断でクルマを買い求めたのだと、私は考えている。だがそれは、無味乾燥な移動のための機械ではなく、フランス人らしい美意識に基づいた意匠で作られ、それもクルマの大きな個性となっている。

1922年に登場した856㏄エンジン搭載の5CV(タイプC)の宣伝。頑丈で信頼性の高い小型車だった。アンドレ・シトロエンは新たな顧客に女性を呼び込もうとした。女性をターゲットに据えた世界最初のモデルともいわれる。

自動車黎明期のリーダーがフランスだった

ここでフランス車成長のバックグラウンドを簡単に振り返っておきたい。『ドイツ人が発明したガソリン車はフランス人が発展させた』とはよくいわれる。

自動車の発達と、その製造と販売の企業 化で先鞭を切ったのはフランスの事業家たちであった。1891年にはまずプジョーが、そして数ヵ月後にはパナール・エ・ルヴァッソールが商業ベースでの自動車生産を開始し、1899年にはルノーがこれに続いている。この時期には、自動車生産で世界をリードしているのはフランスであり、1900年代初頭にアメリカのフォードがモデルTの流れ生産を開始するまで、フランスは世界一の自動車生産国であった。

シトロエンの場合はこれら2社とはだいぶ時期が後だ。アンドレが初めてクルマの生産に関わったのは1908年に自動車製造会社のモール社の役員になった時であった。1912年にアメリカを訪れた彼はフォード工場を訪問。ここで目の当たりにした先進的なベルトコンベアによる大量生産方式に感 銘を受け、自ら自動車生産に乗り出すこと を決意したといわれる。だが、彼の志は1914年に、第一次世界大戦が勃発したことで先送りとなった。高効率の歯車など機械製品を手掛けていた事業家のアンドレ・シトロエンは、自らの戦いの場を後方支援と定めると、砲弾の大量生産が可能な新工場を建設。流れ作業によって、1日当たり5万5000 発を量産した。1918年に戦火が止むと、アンドレは自動車の大量生産を開始する決定をくだす。

彼が意図したクルマは、アメリカ人にとってのモデルTと同様に、それまでの“金持ちの道楽用の高価で手の込んだ豪華車”ではなく、中産階級を顧客増に想定した、維持費が安く信頼性の高い実用車であった。1919年5月にラインオフしたタイプA(1327㏄)は、流れ作業による大量生産技術を用いて生産された最初の欧州車であった。さらに1925年10月に登場した B12は、欧州車としては初めてとなる、プレス成形した鋼板を用いた全鋼板製クローズドボディを架装していた。生産性が高いばかりか、全鋼板製ボディは丈夫で信頼性が高いことが顧客への訴求点となった。

アンドレは販売方法にも先進的で、フランチャイズ方式によるディーラー網を敷いたうえで、顧客の購買意欲を煽るべく、シトロエン製のタクシーをパリで走り回らせたほか、新聞広告を展開し、交差点にシトロエンのロゴの入った道路標識を立てた。さらに後述する冒険旅行を行うなど、シトロエンのブランドイメージの確立に力を入れた。広告宣伝の中で最も目立ったものは、1924年から 10年間、エッフェル塔に25万個の電球を使ってシトロエン文字を掲げたことだろう。

都市間を繋ぐ直線区間の長い一般道路、それも路面が平坦ではない、舗装がいいとは言えぬ道を比較的高い平均速度で往来する機会が多いことから、フランス車のサスペンションは鍛えられた。そんな道をトラクシオン・アヴァンが駆け抜ける。

広報写真から選んだ面白い1枚。乗用車の必須要件は快適な室内空 間と広い荷物スペースだ。まさかこれだけたくさんの鞄はトランクルームには入らないだろうが、客室まで使えば飲み込んでしまうのだろう。

農民のための簡便で堅牢、安価なクルマとして誕生した2CVだったが、その徹底した合理性から、国境を超えて広い顧客層を得て、長寿なモデルとなった。

シトロエンはヴァンケル・エンジンに熱心に取り組んだ。燃費が悪いことがネックだったが、静粛でスムーズなことから、それを搭載したGSビロトールは、燃費改善など開発が進めばひとクラス上のサルーンになっていたことだろう。

フランスはモーターレーシングの先進国

自動車生産を企業化したフランス人は、またモーターレーシングの先駆者でもあり、1894年に史上初の自動車による競技会を 、翌1895年にはフランスでスピードを競うレースを初開催している。1906 年には、史上 初めてのグランプリレースとして、第1回 ACF(フランス)グランプリがル・マンの公道を閉鎖して2日間にわたって開催され、勝者は4気筒1万2986㏄エンジン搭載のルノーであった。また、プジョーは画期的な1気筒当たり4バルブのDOHCエンジンを備えた3リッター・マシーンで1914年のインディ500マイルレースに挑戦し、2倍近い排気量を持つライバルと競い合い、2位に食い込んでいる。さらに1923年にはル・マン24時間が初開催されている。

シトロエンは、スピードレースには距離を置いていたが、ル・マン初開催とほぼ同時期に、アンドレ自ら計画した長距離冒険旅行を決行している。それは、シトロエンが製作した後車輪がキャタピラ式の、“ケグレス軽量ハーフトラック”の高い悪路走破能力を実証する旅であり、3 回にわたって遠征隊を送り出している。隊長はアンドレの命を受けたシトロエン工場総支配人であったジョルジュ・マリ・アールトが務めた。

1922年12月16日に出発した初回の旅は、アルジェリアのトゥグルトから西アフリカのトンブクトゥまでのサハラ砂漠の横断であった。5台のシトロエン・ケグレスに分乗した10人の探検隊は、翌 ’23年1月7日に3220kmを走って無事トンブクトゥに到着した。これは小手調べといったもので、『シトロエン中央アフリカ探検』、通称『黒の巡洋艦隊(La Croisiere Noire)』と名付けられた第 2回遠征隊は、8 台のハーフトラックに16人(医者、画家、地質調査担当、動画撮影担当、写真家、料理班、散髪係、音楽班)が分乗した。アルジェリアのコロン・ベシャールからケープ・タウンまで(海路でマダカスカルにも渡った)の約2万kmにわたる長旅で、1924年10月から約 9ヵ月間をかけて走破した。

3回目はユーラシア大陸の横断で、『黄色い巡洋艦隊(La Croisière jaune)』と呼ばれた。ルートにはヒマラヤ山脈やチベット高原があるが、情報は少なく、準備に2年を費やしたものの、ソビエト連邦が出発直前に自国内の走行許可を取り消すなど、障害続きであった。紆余曲折の末、ソ連を通過しないルートとして、地中海からスタートする “パミール隊”と、北京からスタートする“中国隊”の2隊を組織して、パミール高原の東側で合流する計画を立てた。途中、道が途絶えて、クルマを分解して、人力で運ぶなど困難を極めるが、成功裏に旅を終えることができた。

ケグレス・ハーフトラックは、こうした過酷な旅によって開発されたが、シトロエンはその生産を断念。この技術に注目したアメリカ軍やドイツ軍によって、軍用車として採用されることになった。

高い速度と高速安定性を備え、かつ省燃費を達成するために、シトロエンは空力の改善に取り組んでいた。CXと空気 抵抗係数を名称にしたほどだ。

エンジン付きの道具

レースはクルマの発展に大きく寄与したが、実用車は庶民が道具として酷使することで磨 かれていった。実用品の無駄を嫌うフランス 人の気持ちがクルマに現れた最たる例がシトロエン2CVだろう。2CVについては別項に任せるが、それは農業が盛んなフランスに相応しい、農夫のための”エンジン付き万能車”として企画され、大半のユーザーにとっては、これが生涯初の内燃機関付き車両になることが予想された。経済的であり、実用に徹し、高い信頼性を設計の最優先要件としている。これらの要件を追い求めた結果が前輪駆動であり、農地など悪路走行を想定してホイールトラベルを大きく設定した前後輪関連懸架という機構だといえよう。専用に開発された空冷軽合金製水平対向 2 気筒エンジンの排気 量は、当初、たった375㏄(課税馬力2CV)にすぎなかった。結果的に2CVは農民だけでなく、フランス人だけでなく欧州の人々からの共感を得て、驚異的な長寿のクルマとなった。2CVはフランス人でなければ実現はおろか、発想さえされなかったクルマであろう。  

2CVに限らず、かつてのフランス車は他国のクルマとクルマの寸法に比べて、排気量の小さなエンジンを搭載する傾向にあった。現在でも小排気量気味であることには変わりはないが、同じシトロエンでは、1970年に登場したシトロエン GSは顕著な例だった。全長×全幅が4.2×1.6m、ホイールベースが 2.55mと、同時期のVWゴルフ(初代)より大柄であるにもかかわらず、エンジンは空冷水平対向4気筒の1015㏄、55psに過ぎないという小排気量ぶりはフランス人の無駄を嫌う精神の表れだとされた。

だが、それだけではすべての説明がつくというわけではない。これにも平野が多いというフランスの国土が関係しているといえよう。急峻な登坂路が少ないため、急坂をグングン登るための高出力が必須というわけではない。その一方で、平野を駆け抜ける巡航性能という相反する要件も求められるが、それらを勘案してギア比を設定しさえすれば小排気量でも充分に実用になる。かくして、他国から見ればアンダーパワー気味のエンジンをレヴリミットまで容赦なく回し、ギアシフトを繰り返すという運転が一般的になる。

過去のフランス車の歩を足早に辿っただけでも、合理的な考えに加え、芸術的センスや、フランス人の心に中に宿る生きかたに対 する哲学や感受性、発想力とそこから生まれた新しい物への理解、無駄と感じるものを排除する心情が、他国の人々には発想できない存在に育ててきたことが浮かび上がってくる。 実用車に限っていえば、その多くは、合理的をカタチにしたかのような “堅物な道具”ではなく、そこには国民性ゆえの、美的あるいは遊びの要素が加味されていることが特徴といえるだろう。

前述した地産地消の時代以降、どの国のクルマにも誕生した国で育まれた個性(強弱は あるが)は、連綿と存在し続けている。なかでもフランス車のそれは、クルマが国際商品となった現在でも、際だっていると私は感じていると、先日最新のC3に乗りながら実感した。さて、読者の皆さんはどうお考えだろうか。

前輪駆動量産車の先駆的存在であるシトロエンにとって、高性能なグランドツアラーを前輪駆動で完成させることは自然の流れで あった。それは、かつて栄華を誇ったフランス製の豪華・高性能車の再来だった。石油危機に見舞われたのが不運だった。

CXの後継モデルであるXMでは、ハイドロニューマチックの進化系である電子制御機構を組み込んだハイドラクティブを採用した。これが発売されて間もない時期、パリのシトロエンで試乗車を受取り、スペインのヘレス・サーキットまで移動したことがあったが、フランスやスペインの一般国道では、これほど快適で速いクルマはないと感銘を受けた。まさに、道路状況にピッタリだった。そ のXMも30周年になる。

シトロエン・ケグレス・ハーフトラックによる 冒険・調査旅行は、未踏の地から膨大な量の 学術研究のためのデータ、資料を持ち帰った。

サハラ砂漠の地図を前にしたアンドレ・シトロエン。