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自動車技術&文化史探訪

激動の時期を経て独自の発達英国車が辿った道と現在

英国ではEU離脱(ブレグジット)を巡る様々な動きがみられるが、これを機に英国車の過去と現在を記してみた。現在のその姿は、成熟した自動車市場のひとつの姿であると思えてくる。

TEXT / 伊東和彦

1965年欧州COTYも英国車が獲得。BMCのオースティン1800(ADO17)のカタログには、イシゴニス・コンセプト、ピニンファリーナ・ラインとある。オースティン版(写真)のほか、その後ウーズレー版が加わった。(CI Archives)

イギリスの自動車会社の現状

英国ではEU離脱(ブレグジット)を巡り、混迷の度が増しているようにみえる。BBCは、”イギリスの国立経済社会研究所が、 ボリス首相が欧州連合とまとめたEU離脱協 定案に従ってEUを離脱した場合、離脱しない場合に比べて年間700億ポンドの経済損失が見込まれるとする報告書を発表”と報じている。そのまま鵜呑みにはできないだろうが、約10兆円もの損出が出るというから、EUから離れるためには多大な重荷を背負うわけだ。ブレグジットは自動車産業の地図をも塗りかえようとしている。まず、ホンダが英南部のスウィンドンに置く生産工場を2021年に閉鎖すると発表した。ホンダは世界の自動車産業の変化ゆえの閉鎖としているが、町の人たちはEU離脱が大きな原因だと考え、閉鎖を思い留まって雇用を守ってほしいとのアピールをしている。もっともスウィンドンに住む人の過半数が離脱派だという報道もあり、不可解ではあるのだが(注:執筆時点の情報です)。

スウィンドンは、19世紀に発達した鉄道産業によって発展した町で、鉄道が衰退してからは自動車会社が進出し、クルマの町として存続してきた。英国の自動車産業が衰退後、1979年末にホンダがブリティッシュ・レイランド(BL)とホンダ車の生産で提携し、トライアンフ・アクレイム(ホンダ・バラードのバッジエンジニアリング)が生まれた。さらにホンダはスウィンドン郊外の旧飛行機工場の跡地を取得して、’89年に生産を開始。ここで生産されるモデルはEU加盟国に輸出されている。2016年の実績で13万4000台を生産した英国ホンダは、スウィンドンにおいて最大の雇用主である。また、その近隣には、BMWミニの生産工場がある。

現在、英国で最大の自動車生産台数を誇っているのは、1986年7月に黒海に面したサンダーランドに完成車工場を開設した日産だ。石炭採掘と造船によって栄えた町だったが、これらが衰退後の苦境に喘いでいたときに日産が進出し、地域を支える企業になった。1980年代には、マイクラ(マーチ)が英国でのベストセラーになっている。2018年には44万2000台を生産する規模だ。

トヨタ自動車は中部のバーナストンに完成車工場を新設。ディーサイド地区にエンジン工場を構え、1992年12月に最初の車が生産ラインオフし、2018年には12万9000台を生産した。

ホンダも日産もトヨタも、EC圏内が主要マーケットだ。だが、ブレグジットによって、英国からのEU圏内への輸出に対して関税がかかるようになれば、ホンダ以外にも英国からの撤退、あるいは規模の少々を考える海外資本も現れるだろう。2017年の英国の自動車輸出比率は80%ほどと大きく、輸出の12.8%を占めるほど巨大な産業なのである。

そうした将来への不安を抱えるなかで、ロールス・ロイス、ベントレー、ランドローバー、ジャガー、アストンマーティン、そしてロータスやモーガンなども、動きは活発だ。 どれも言わずもがなの伝統的な英国車群だ。 ロードカーでは新参のマクラーレンも元気だ。

だが、そうした伝統企業も、ベントレーがVWグループ、ロールス・ロイスがBMWとドイツの傘下にあるほか、それ以外も英国外の企業の傘下、あるいは投資ファンドの支配下にあるというのが、英国の自動車会社の現状である。前出の日系企業をふくめ、長く英国に根ざしてきたフォードやヴォグゾールなど、英国人がファミリーカーを購入しようと考えても、すべて外国資本企業の製品ばかりということになる。MGは中国の企業がブランドを手に入れ、英国内で小型車の生産を行っているが、かつて英国車の象徴であったオースティンやライレー、ローバー、トライアンフなどのブランドは、外国企業が権利を所有し、休眠状態にあることはご存知のとおりだ。

1964年欧州COTYの3位はルーツ・グループのヒルマン・インプだった。リアエンジンの 小型大衆車だ。同グループ内のシンガー・シャモア(写真)、サンビーム・インプの姉妹車も存在。(CI Archives)

ローバー2000シリーズ(P6)。1964年の第1回欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した秀作。その後、V8エンジンも搭載した。(BLMC)

繁栄と凋落のなかでも名品は生まれた

話を小型・中型乗用車に限れば、第二次大戦後の英国の自動車産業が国際的な規模で活力に溢れていたのは、1950年代後半から’60年代半ば、少し広げても’70年代初頭までといえるだろう。この時期は、まさに百花繚乱であった。その後にもいくつかの意欲的なモデルが登場しているが、志は高くも品質に問題を抱える”いささか難あり”の状態だった。

活況の布石となったのは、第二次大戦後直後の社会状況にあった。英国政府は不足する鉄鋼の供給を管理しようと、輸出企業への供給を優先する政策をとり、1947年には生産の75%以上を輸出した企業のみが鉄鋼を自由に利用できた。この恩恵を最大限に受けたのが自動車産業で、戦後のクルマ不足という追い風を受けて、英国は世界最大の自動車生産国になるという、”我が世の春”であった。

欧州(特にドイツ)や北米での生産が回復すると、さすがに英国が首位の座に留まれはしなかったが、世界有数の自動車生産国であることに変わりはなかった。そのころの英国では、地元資本と米国資本の2系統の生産会社が鎬を削っていたが、1950年前半には、英フォードとヴォグゾール(GM)が市場の3割を掴むまでになっていた。こうした状況を憂慮して、それまで好敵手であったオースティンとナッフィールド・オーガニゼーションが合併。1952年にブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)が誕生した。ご承知のとおり、BMCは、オースティン、モーリス、MG、ライレー、ウーズレー、ヴァンデン・プラの各ブランドを抱え、40%の市場シェアを占めた。このほか、ヒルマンやハンバーで知られるルーツ・グループとスタンダード・トライアンフがあり、1955年の時点で、これら5社が英国における自動車の9割を生産し、輸入車が入り込む隙はなかった。輸出も盛んで、北米市場ではMGスポーツカーや、トライアンフ、ジャガーのスポーツカーは飛ぶように売れた。

1960年までには世界3位に後退したが、製品はバラエティーに富み、さまざまな顧客の要求に応えた魅力的な車種が造られていた。

1967年欧州COTYでは3位にジェンセン・インターセプターFFが入った。ファーガソン・システムのフルタイム4WDを備えるFF。アウディ・クワトロが誕生するはるか以前の試みだ。’71年までに320台生産。

1966年欧州COTYの1位は万能乗用車のルノー16だったが、2位はロールスロイス・シルバーシャドウだった。 モノコックボディを採用した新時代のRRだ。(Rolls Royce)

読者諸氏はもちろん、私にとっても、この時期の英国車に魅力を感じるのはこうした環境のもとで造られたクルマだからだろう。活力があったからこそ、ロータスのようなニッチマーケットを狙ったスペシャリストも成長することができたといえる。

だが、労働集約型で造られる幅広いモデルレンジは、製造コストを上昇させる最大の要因であった。一例を挙げれば、BMCの代表的小型ファミリーカーのADO16であっても、抱えるすべてのブランドを掲げたモデルがバッジエンジニアリングで存在し、階級意識が残る顧客のニーズに細かく対応していた。だが、これだけの数を造り分けていては、儲けは少なく、間もなく輸入車に市場を奪われる状況に陥り、業績は下降を続けて行くことになる。追い打ちを掛けたのが、1970年代に入ってから北米で巻き起こった排ガス規制の強化への対応に遅れたことで、これは痛手だった。

前述したスタンダード・トライアンフは、1961年に財政難から商用車メーカーのレイランド・モータースによって買収された。1966年には、BMCとジャガーが合併し、ブリティッシュ・モーター・ホールディングス(BMH)が誕生。レイランドは1967年にローバーを買収。さらに同年、英国クライスラー(CUK)はルーツ・グループを傘下に収めた。このころ、英国でのベスト・セラーはフォード・コルチナであった。

英国政府は自動車産業の立て直しを図るべく政治介入し、レイランドとBMHの合併を進め、1968年にブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BL MC)が誕生し、世界第4位の自動車メーカーへと駆け上がった。この一連の統合劇を経て、BLMC、英国クライスラー、英国フォード、ヴォクスホール(GM)が英国の量産主要4社となった。だが、これで混迷から脱したわけではなく、BLMCでは内部抗争と労働争議に端を発する重大な品質問題が派生し、混迷の度を深めることになった。また、小型大衆車の前輪駆動化で世界をリードしていた英国だったが、1974年に登場したVWゴルフを筆頭とする、近代的な小型前輪駆動車の開発では遅れを取った。さらに、1970年代に入ってからは、日本から輸出されたダットサンの人気が急上昇するという新たな頭痛の種が持ち上がった。ダットサンが安価でありながら信頼性に長けた製品であったことが、 顧客の目を日本車に向けた要因だった。混迷の中で、BMCの英国市場におけるシェアは、1971年の40%から、73年には32%に低下し、1974年には英国の自動車生産は世界第6位に後退してしまった。

だが、この時期にも後 世に残る秀作は誕生している。1970年に登場したレンジローバーはその筆頭格だ。4輪駆動車市場のみならず、広くクルマ社会全体に強い衝撃を与え、現在のプレミアムSUVの祖と言える存在として、今に至っている。さらに1976年に、ローバーとトライアンフの各サルーンを統合した新型車種のSD1(Specialist Division No.1)を発売している。このクラスでは世界的にも希な5ドアハッチバックが進歩的であった。

合理化策を進めていたBLMCと英国クライスラーは、両社の合併を前提にして、1974年に政府に対して財政支援を要請するが、政府はこれを拒否。英国クライスラーに対しては融資を与える一方で、75年にはBLMCをブリティッシュレイランド(BL)と改名して国有化を図った。その後、クライスラーは1978年に欧州部門をプジョーに売却して欧州から撤退していった。フォードとヴォグゾールは、生産効率化のために英国での生産比率を段階的に下げ、その分を大陸側からの輸出で賄うようになり、雇用は失われていった。国有化されたBLは、工場と労働者削減策を断行することで生産性向を推進し、息を吹き返すかのように見えた。1979年に誕生したサッチャー政権も資金を投入し続けたが、状況はあまり改善せず、日本のホンダとの一部合弁に繫がった。

1980年代は、英国を象徴していた老舗ブランドの消滅、もしくは歴史的な生産工場が閉鎖された時代だった。MGは、1980年のアビンドン工場閉鎖ともに”旧き佳き”スポーツカーの生産を止め、コヴェントリーにあるトライアンフ工場も閉じられた。そして、最も衝撃的なできごととなったのは、1994年2月に、ローバー・グループと名を変えていた旧BLが、ドイツのBMWに8億ポンドで売却されてしまったことだ。すなわち、112 年ぶりに英国に自国の資本が所有する量産車自動車メーカーが消滅したことを意味していた。2000年3月、BMW はローバー・グループの分割を決定すると、製品力があるランドローバーをフォードに売却。ミニのブランドを小型車戦略の要として自社に残した。

フォードは 1987年9月にアストンマーティンを、1989年11月にはジャガーも買収した。英国の老舗を2社も手に入れたフォードだったが、北米を2006 年にリーマンショックが襲うと、ジャガーとランドロー バーをひとまとめにしてインドのタタ・グループに売却して世間を驚かせた。だが、この買収劇は成功したようで、現在のジャガーやランドローバーは見違えるように元気になっている。

1998年には、ヴィッカースがロールス・ロイス・モータースをオークションにかけ、フォルクスワーゲン・グループが落札に成功。しかしながら、ロールス・ロイス社の名前をイギリス人以外の所有者に渡すことを拒否できる権利を有していたRRがこれに反発。その打開策として、2003年にVWGがベントレーのブランドと生産工場を手元に残し、RRはすでにRR航空機エンジン部門を傘下に収めていたBMWに譲ることで決着をみた。もともと独立した企業として強い個性に支えられてきたRRとベントレーが分割されたことで、共に製品力が向上したことは、現在の盛況ぶりに表れている。

1973年にトライアンフ・ドロマイトに加わったスプリントは意欲的なモデルだった。SOHCながら 16バルブとして2リッターの4気筒を搭載。居 住性と高い性能を両立させたスポーツサルーンは英国車の真骨頂だった。(BLMC)

1981年欧州COTYの1位はフォード・エスコートMk.3だったが、3位にはオースティン・メトロが入っている。MINIの市場を受け継ぐモデルと して企画され、まずまずの成功を収めた。(BLMC)

1977年欧州COTYの1位はローバー3500(SD1)が得た。トライアンフとローバーの統合の成果だ。中型高級サルーンながらハッチバックを採用したことが新しい。(BLMC)

“充実した装備のスポーツサルーン”を謳ったルーツ・グループのハンバー・セプターSr.1(1963年)。そのカタログ。同じボディをグループ内のシンガーやヒルマンと共用し、サンビーム・レイピア用のスポーツエンジンを搭載。1960年代の英国製スポーツサルーンの典型だ。(CI Archives)

繁栄の現在

こうした激動の時代を経て、現在のイギリスの自動車産業がある。冒頭にロールス・ロイス、ベントレー、ランドローバー、ジャガー、アストンマーティン、そしてロータスやモーガンなどなどの動きは活発だ。言わずもがなの伝統的な英国車群だ”と記した。さまざまなモデルを矢継ぎ早に発売して成功し、ジャガーはEVにも熱心取り組んでいる。

これらのメーカーについていえることは、すべて高い付加価値を訴求点としているハイエンドの車種である。それゆえに、ブレグジットに動じているそぶりを表面的には見せていない。この付加価値とは、長年にわたって英国の自動車産業に培われてきたブランドだ。これは高級車に限った話ではない。BMW が小型車市場に参入するに当たって、自社ブランドではなく、ミニを選んだのは、その名が小型車のアイコンであるからに他ならならない。ミニはヨーロッパ大陸でも生産されているが、そう簡単に英国での生産を終えるとは思えない。

小さな高級車として認知されているミニを含めて、英国の自動車産業は、自国のハイエンドのクルマに軸足を置き、ブレッド・アンド・バターカーは、生産国や資本など些細なことに拘らず、使い易い良品を選んでいるように見える。これは成熟した自動車市場のひとつの姿であると思える。個人的には、1960年代に市場で謳歌していた落ち着いた英国ブランドの小型車やスポーツカーが復活しては活力に溢れている。ほしいと思うのだが、それは外野からの勝手な妄想なのだろう。いま、英国の自動車産業は活力に溢れている。

ヴォグゾール初の1リッター級小型大衆車として1963年に登場したヴィヴァは、同じくGM系列のオペル・カデットの英国版。質実剛健そのもの。大きな成功作となった。(Vauxhall)

英国の庶民のための乗用車市場を支えていたのはフォードだ。1960年代中頃にはコルチナがベストセラーだった。(Ford)

1968年に登場したジャガーXJ6は、欧州COTYに選出されなかったが、間違いなく優れたモデルだった。これはジャガーがブランドを所有していたデイムラー版のソブリン。(Jaguar)

1981年トライアンフ・アクレイム。ホンダ・バラードの姉妹車。1979年12月にホンダがBLと提携したこと誕生。これを機にホンダをベースにしたBL車が誕生していく。(Rover)

ローバー800。SD1の後継モデルとして1988年に登場したホンダのレジェンドとの共同開発車。’88年にはSD1のコンセプトを引き継いだハッチ バック・ボディが加わった。(Rover)

2019年欧州COTYで1位の得票を得たジャガー I-PACE。ジャガー初のEVだ。これがジャガーにとって初の欧州COTYでもあるが、それ以外の同様な賞も得ている。(Jaguar-LandRover)