Alfa Romeo 8C Competizione主役になれなかった“歌姫”

2020.06.05 イタリア(ITALIA) アルファロメオ(ALFAROMEO) スポーツカー 00年代 8C
かつて8Cオーナーであった筆者が所有するこのカタログには、8Cのデザイナー、ウォルフガング・エッガーの直筆サインとイラストが描かれている。エッガーと1台の"歌姫"にまつわる、知られざるアナザーストーリー。
TEXT:西川 淳 PHOTO:佐藤亮太

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久しぶりに8Cに乗って
あのクルマを思い出した

久しぶりに8Cコンペティツィオーネをドライブすることになって、懐かしいカタログを引っ張り出してみた。

白くて無粋な厚紙に入ったそのカタログは8Cの予約者に渡されたカーボン表紙の豪華版で、なぜか2冊持っていたが1冊は後年、九州の8Cオーナーに差し上げた。残るもう1冊は誰にも渡せない。ウォルフガング・エッガーのサインが挿絵付きで入っているからだ。

エッガーの描いた8Cのフロントマスクを眺めていると、走馬灯のようにいろんなことを思い出す。まずはこの絵を描いてもらったタイミングだ。めざといアルファロメオ・ファンなら気づかれたかも知れない。

実はこれ、2007年10月の東京モーターショーでアウディ・ブースにいたエッガーにねだったものだった。その年の5月にエッガーは既にアウディへ移籍していた。エッガーが来日すると知ってインタビューの仕事をこしらえ、懐に古巣のカタログをしのばせてアウディ・ブースに向かったのだった。アウディのスタッフが見守るなか、隠すように8Cのカタログを見せ、ひそひそサインをねだった。こっそり描いて返してくれるのかと思いきや、大いに喜んだ彼はまわりの視線などおかまいなしにアルファロメオのカタログをその場で広げて、”他社のクルマ”を堂々と描き始めたのだった。

アウディのブースで嬉しそうにアルファロメオを描くエッガーを見て、”いろいろあったよなぁ。本当はこうして笑顔でアルファロメオを描きたかったんだろうな”と、その気持ちを勝手に斟酌した。

ロッソ・コンペティツィオーネの肢体を街の灯りがぬめりと照らしている。

ワルター・デ・シルヴァが去ったアルファロメオのチェントロスティーレでエッガーやフィリッポ・ペリーニらによって紡がれた、ヒストリックなイタリアンクーペスタイル。スーパーカーばかりを追い求めていた当時の筆者にその優雅なライン構成は衝撃的ですらあって、後先もろくすっぽ考えさせずにオーダーさせてしまった。今でもその印象に変わりはない。

だがドアを開けると空気は一変する。外観の柔らかな雰囲気が一気に硬くなった。これは例えば4Cでも同様で、エクステリアとインテリアのギャップもまたアルフィスタの歓ぶところではないだろうか。そのユニークで美しいアウターに、鍛え抜かれたように見えるインナー。”ように見える”ことがまた重要だ。一分の隙もなく鍛え抜かれた身体では何をするにも息苦しい。そこまで完璧でなくていい。隙という名の”遊び”のあることが、楽しいイタリア車の条件なのだ。

もっとも8Cの場合、走り出してもしばらくはその硬派ぶりにおののいてしまう。アシ回りは硬くしなやかさに欠けており、そのうえ見映えのいい薄いシートがクッションの役割をまるで果たさない。ダイレクトなのはいいのだけれど、過ぎたるは及ばざるがごとし。そんな不満を打ち消すのが、F136TC型4.7リッター自然吸気V8ドライサンプエンジンのフィールと咆哮だった。

最新のジュリア・クアドリフォリオ用2.9リッターV6がマラネッロ製であるのと同様に、そのエンジン型式名を見れば分かるとおり、このV8もまたマラネッロ製であった(車体アッセンブリーはモデナのマセラティ工場)。グループシナジーを生かしての高性能モデル企画は大メーカーの特権であり、その事実をして純血を問う原理主義は今の時代、ナンセンスというほかない。

そのサウンドは、腰への衝撃を忘れさせてくれるほど高らかで麗しいものだった。同じ系統のエンジンを積んだフェラーリ・カリフォルニアやマセラティGTよりも甲高く響き渡ったのだから。

「ブラックなんて最低だよ」

2007年秋の東京。エッガーはそう言った。2006年に生産型を正式発表して以来、8Cの世界巡業ショーカーは黒に塗られていた。筆者も当初は黒をオーダーしていたから、ヒヤヒヤしながらエッガーの言葉を待つ。

「ブラックに塗ってしまうと8Cのもつ大胆かつ微妙な曲線の組み合わせが消えてしまうんだ。シルエットはいいとして、ディテールの妙味が薄れてしまう。でもブラックは人気だ。だからラインナップには入れたけれど、どうしてそれをショーカーに使うんだろう」

エッガーはちょっと憤慨気味だ。

「どんな色がいいかなぁ」

慌てて質問を変えてみた。実はこのとき、筆者の#362もカラー最終オーダーの確か直前だったのだ。最初は黒を選んでいたと書いたが、赤と並んでオーダーしている人が多いと聞きイエローパールに変えていた。けれどもこの際だからデザインに関わった当の本人に似合う色を聞いてみようと思い立ったのだ。

エッガーの答は意外なものだった。

「シャンパンゴールドがいい」

こうして筆者の8Cは世界でただ1台、グリジオ・イングリッド(フェラーリの純正カラー)にペイントされることになった。

それにしてもエッガーの言葉の端々にはフィアット&アルファロメオ上層部への不満が滲み出ていた。そういえばエッガーがイタリアの会社組織に心底うんざりしていたのを思い出す。そう、あのジュネーブの夜……。

筆者が当時所有していたグリジオ・イングリッドで塗られた8C(写真:EDGE/岡村昌宏)。
真ん中の人物がウォルフガング・エッガー。現在は中国のBYDに所属する。

赤い8Cコンペティチィオーネが横浜を走る首都高の長いトンネルへと入った。

ミッドシップ・フェラーリなら馬力を犠牲にするのを承知でエンドマフラーを変えてまでして演出しなければいけないが、8Cならノーマルのままでも恐ろしいまでの爆音だ。ちょっと派手過ぎて、周囲のクルマを驚かせないかと躊躇ってしまうほど。けれどもあまりに気持ちよくて、しまいには楽しくなってしまう。爆音が中毒性になる所以である。もう爆音好きは卒業したと思っていたのに、寝た子を起こされた気分……。

シングルクラッチシステムによる変速以外、今でも現役マシンとして十分に通用する。もちろん、メーターやモニターまわりのグラフィックは旧態のアルファロメオそのもので、ちょっと懐かしい気分になってしまうが、走りそのものは決して古くない。硬質な乗り味に最新のスーパースポーツとのベクトルの違いを感じるものの、それとてノスタルジーと思うほどではなく、むしろ新鮮味をもって味わうことができる。

当時から思っていたことだけれど、フロントアクスルの動きにもう少し”しなやかさ”があればよかったのに、と改めて思った。速度のコントロールを少しでも間違うと、いきなり突っ張ってしまうからだ。前輪のご機嫌を伺うチャンスが少ないとでも言おうか。ほどよい姿勢を確認する間がない。それゆえ、スポーティに走らせようとすればするほど、アプローチが強引になってしまい、フロントアクスルに負担を掛けてしまうのだ。

ふと、当時アルファロメオのテストドライバーが、昔のラリーカーのようにねじ伏せるようにして、バロッコ・サーキット最奥のタイトベントをドリフトさせていたことを思い出した。

“歌姫”の名を持つアルファロメオ

2006年春。ジュネーブ・ショーに現れた1台のコンセプトカーが衆目を集めた。

それもメーカーではなくカスタムコーチビルダーのブースだったという点が、いかにもスイスはジュネーブで開催されるショーらしい。

その名はアルファロメオ・ディーヴァ。飾られていたのは、独創的なアイデアとデザインの実現で有名なスイスの名門スバッロのブースだった。フランコ・スバッロが1971年に立ち上げたカロッツェリアで、BMW 328やメルセデス・ベンツ540Kの精巧なレプリカ製作で名を馳せるほか、奇想天外なワンオフショーカーでもつとに有名だ。フランスにカーデザイン学校を造り、若者たちのアイデアを具現化するショーカーが近年のジュネーブ・ショーでは注目を集めていた。そしてこのコンセプトの別名は、エスペラ・スバッロ・ディーヴァ。そう、そのデザイン学校で若者たちがショー直前まで製作に没頭したショーカーだったのである。

ではどうしてアルファロメオのエンブレムが正々堂々と付けられていたのか。それはディーヴァのアイデアが、当時アルファロメオ・チェントロスティーレに所属していたエッガーによるものだったからだ。

ショーカーの完成度はともかく、エッガーによるデザインとV6ミッドシップスポーツカーというコンセプトは、本来アルファロメオのブースに飾られていてもおかしくないものだった。実際、この年の(少なくともアルファロメオ好きの筆者の)ヒロインは間違いなくディーヴァだった。

ティーポ33/2ストラダーレの再来と言われることは多い。確かにアイデアの源はそこだろう。ヘリテージとのデザイン的な一貫性を模索し、現代に表現することが老舗ブランドのデザイナーに託された仕事でもあるからだ。けれどもよく見ればオリジナリティに溢れる点も多く、決してティーポ33のレトロモダンでなかったことは、後にティーポ33ではなくディーヴァのデザインに大きく影響を受けた4Cが登場したことからも分かるだろう。

2006年春のジュネーブ・ショー、スバッロ・ブースに展示されたアルファロメオ・ディーヴァ。ティーポ33/2へオマージュであり、ブッソV6を横置きするミッドシップであることなど各部が興味深く、4Cがこれを参考にしたことは容易に想像できる。それを証拠に、ムゼオ・アルファロメオのアーカイブにこのディーヴァが記録されているのだ。

ジュネーブの夜
ウォルフガング・エッガーは
そう告白すると涙した

師匠というべきデ・シルバや兄弟弟子のフィリッポ・ペリーニが相次いでアルファロメオ(現FCA)を去ってアウディへ移籍したあと、エッガーは置き土産の8Cを仕上げると同時に自らのレゾンデートルを示そうと様々なアイデアを模索した。そこで思いついたのが、名前に頼るのではなく偉大なる過去に敬意をストレートに表す、けれどもモダンなスポーツカーデザインだった。

前述したようにエッガーには、何かアイコニックなモデルのレトロモダンを実現するといった安易な(けれども流行りの)手法を取るつもりなど毛頭なかった。とはいえブランドが背負っていくべきヘリテージ性を”わかりやすく”織込むこともまた重要だと知っていた。実をいうと8Cにはアルファロメオのヘリテージ性がそのネーミング以外にさほど織込まれてはいない。せいぜいフロントマスクのデザインと、優雅な8気筒GTスポーツというコンセプト程度だろうか。それにしたって戦前の、現代のアルファロメオとはまるで違う遠い昔の記憶でしかなかった。

具体的なヘリテージの継承という意味では、もう少し新しくて現代的解釈の可能なモデルでなければならない。そこで辿り着いたのがティーポ33/2ストラダーレを起源としつつ、当時最新アルファロメオのリソースを使ってできる小型のミッドシップスポーツカーというコンセプトだった。

そう、エッガーは”真剣”だったのだ。コンセプトカーとして終わらせるつもりなどなかったことは、ミッドに3.2リッターのブッソV6ユニットを積んだことからも伺える。ティーポ33後継を声高に叫んでセンセーショナルを巻き起こしたいだけならば、何が何でもV8を積んだはずである。

しかしエッガー案のこのスポーツカープロジェクトが、当時のアルファロメオにおいて正当に評価されることはなかった。

2006年のジュネーブのある夜、筆者はエッガーとともにジュネーブの旧市街にあるチーズフォンデュの名店で長いあいだ話し込んだ。赤ワインがほどほど進んだころ、エッガーはこうポツリともらして涙した。

「いいクルマを企画できるだけじゃだめなんだ。イタリアの会社は”政治”が全てだ」

もちろん、アルファロメオ側にも組織の理屈があった。プロトタイプが2003年に登場し、大好評を博して生産の決まった8Cコンペティツィオーネの正式発表を半年後に控えていた。悲願であるアメリカ市場復帰への、それは盛大な狼煙でもあった。失敗するわけにはいかない。コンセプトはまるで違うといっても、ディーヴァもまたマーケットを限定するスポーツカーだ。イメージが分散することを組織は嫌った。当然である。

一方でデ・シルバ一派であるエッガーへの風当たりが強かったことも容易に想像できる。どうせ8Cローンチまでだろう。そう思われていたフシもあったし、実際にそうなった。

ディーヴァはエッガーの個人的なツテを頼って製作され、発表にまでこぎつけた。スバッロもそうだし、フェラーリからのパーツ供給(エンジン以外のパワートレインや足まわり)もそうだった。ディーヴァを意地でも実現するというエッガーの姿勢は、彼のアルファロメオ内での立場をいっそう悪くしたのではなかったか。もしくは、そこまでの決断をしてから挑んだのか……。

エッガーは今、中国のBYDでチーフデザイナーとして活躍しているようだ。今度会うことがあったら、もう一度アルファロメオのことを話してみたい。そして、アウディのことも。できれば笑顔で。

猛々しい咆哮を存分に鳴らして長いトンネルを抜けたあと、急に魂を吸い取られてしまったような虚脱感に見舞われた。ディーヴァのこと、ジュネーブでのエッガーのこと、グリジオ・イングリットの愛車のこと、いろんなことを思い出してはすさまじいサウンドにすぐさまかき消され、頭と心が空になってしまったのか。

すぐさまインターを降りることにした。そう長くは乗っていられない。8CコンペティツィオーネというGTスポーツカーの特性は、今も昔も変わらないものだった。

ブレラと8Cを巡る数奇な運命

アルファロメオはスペチアーレを作るべく、2001年にデザインコンペを開催。8Cの元になった社内案とジウジアーロのNG案があったとされる。NG案は2002年に自社コンセプト、ブレラとして発表するもこれが大反響。
当時のバンディエラ社長はジウジアーロとタッグを組み、2003年からブレラ顔への統一を始める。
2006年にブレラも市販化。しかしながらブレラはこれ一代のみとなり、後継は登場せず。
しかし8Cも1996年のヌヴォラを引用する形で2003年に急きょコンセプトを発表(プレスキットはCD1枚だけというバタバタだった)。
2006年に8Cが市販化される。これはパリ・サロンでのワールドプレミアの模様。
8Cは後にオープンモデルのスパイダーも追加された。
2019年発表のハイブリッドコンセプト、トナーレが8C由来の形となったことは、数奇な運命と言わざるを得ない。