ポルシェの車窓から見える人生の眺め

カーサービス フクモトの成り立ち
北陸有数のスペシャルショップは、亡き妻の想い出と共に
1981年の創業以来、地元の石川県加賀市で国産車の板金・塗装などを中心に手掛けて来た福本 稔さんが輸入車、中でもドイツ車の魅力に取り付かれたきっかけは、ある時修理に入庫したアウディを手掛けた時。国産車とは全く異なるクルマ造りに対する考え方の違い、ひいては国民性の違いにカルチャーショックを受けたという。
それ以来、仕事の軸足を輸入車の販売とメンテナンスに移していったが、中でも空冷世代のポルシェ911に対しての想い入れは強い。福本さんが911を強く意識し始めたのは、1980年代半ば。それまで打ち込んでいた鈴鹿シルバーカップレース、フォーミュラ・リブレから引退を決意した頃の話である。
既に多くのお得意さんを抱えていた自身の修理工場は多忙を極め、また、競技中の事故を心配する家族のことも考えて、レースから身を引いた福本さん。そんな福本さんに「買われよ(=お買いなさいよ/北陸の方言)」と、憧れの911を買う事を勧めたのは、妻の和子さんだった。もしかしたら和子さんは、レースから引退した福本さんの心の隙間が、サーキットのDNAを持つスポーツカー、ポルシェ911によって癒されるだろうと考えたのかもしれない。こうして手に入れた1979年式の911SCからきっかけに福本さんの911人生がはじまり、同時にカーサービス フクモトの方向性も定まったのである。

1980年代後半、福本さんが鈴鹿シルバーカップレース、フォーミュラ・リブレに参戦していた時代のもの。激しい鍔迫り合いで、激しいクラッシュも1度や2度ではなかったという。

ショールームに隣接するファクトリー。複数のリフトを備え、取材時も930がエンジンを下ろして作業中。カーサービス フクモトは、一度販売したクルマは最後まで責任を持って面倒を見るというポリシーから、基本的には県内もしくは近県のお客さんにしかクルマを販売していないという。

ドイツのポルシェ本社を訪問した際に手に入れた1/43ミニカー(NZG製)やマニュアルも今や貴重な宝物。

ショールームの棚には、資料も兼ねた内外の書籍や様々なモデルカーがディスプレイされている。
カーサービス フクモトの強み
クルマ屋じゃなく、クルマに関する駆け込み寺のような存在
シュツットガルトのポルシェ本社工場を和子さんと共に訪問して実際に911が作られる行程を見学し、仕事では日本全国から新旧の911を仕入れ、911を販売し、911をメンテナンスする……。公私ともにポルシェにのめり込むその熱意は、地元を中心に広く知られるようになっていく。
「加賀にカーサービス フクモトあり」という噂を聞きつけ、しかも福本さんがレースをやっていたと知ると、今度は地元でモータースポーツに打ち込んでいる若者達が、そのノウハウを聞きにガレージを訪れる。また、スポーツカーに造詣が深いと聞いたエンスージァストが、ポルシェ以外のスポーツカーの面倒を見てはくれまいかと訪れる。さらに、趣味のクルマを所有しているマニアが、アシグルマの相談に来る……。
こうしてカーサービス フクモトは、”レーサーが切り盛りする修理工場”から”クルマ好きが集うよろず自動車相談所”となっていった。
カーサービス フクモトの人々
福本さんの趣味ゴコロで溢れたショップの内外
空冷ポルシェ、ケータハムやロータスなどのスポーツカーを中心に取り扱うようになった福本さんは、旧い映画や西洋のアンティーク、オーディオなどにも造詣が深い。とはいえ、いずれの趣味も”カネにモノを言わせて買いまくる”的な無粋さは感じられない。
「僕が道を踏み外すことの無いよう”コントロール”してくれた妻は、一生の恩人であり感謝しかありません」と、今は亡き妻に対する想いを穏やかな笑顔で語る福本さん。その温厚な印象からは、フォーミュラ・レースの修羅場をくぐり抜けて来た武闘派、という印象はまったく感じられない。今でも福本さん自身のガレージには、1971年式の911Tと1988年式の911カレラが収まっている。実は福本さん、911に関してはよりピュアでシンプルなモデルの方が好ましいということで、996以降の水冷モデルは扱っていない。
「ただし水冷以降の911でもGT3だけは扱いますよ。あれはサーキットに生きるクルマですから」
温和な福本さんの目が、一瞬鋭く光った。その光は、”オレはいつだって、サーキットを感じさせるピュアでシャープなクルマが好きなんだ”と語っている様だった。

1971年式の911Tと1988年式の911カレラは、どちらも福本さん自身の愛車。

カーサービス フクモト代表の福本 稔さん。

遠めからでもわかる特徴的な建物となるショールーム&ファクトリー。